楽~になる生き方

楽~に、心地よく生きていこう

いつかかならず

いつかきっと
いつかかならず

今、死にたいくらい辛いことも、
今、死にたいくらい苦しいことも、

きっときっと、「あんなこともあったな」なんて、
懐かしく思える日が来る。

そんな激情があったことを、自分の中にあったことを、
うらやましくさえ思える日がきっと来る。

だから今は 耐えて 耐えて 耐えて
この激情の中に身を沈めよう・・・

二度と浮き上がれないと思うかもしれない。
息もできないほど苦しくて 死んだほうがましだと思うかもしれない。

それでも、この感情の渦の中に静かに身を沈めよう・・・

いつかかならず、真っ暗闇の中に小さな小さな光が見えてくる
絶対に浮き上がれる日が来る、だから

今は真っ暗闇の中に敢えて身を置こう
感じ切ってしまえば必ず光はやってくるから

それまで決して死を選ばないで
いつかきっと
いつかかならず
その日はやってくるから

 

 

BMP 苦しい時は必ず過ぎ去る

 

 

 

ハートに聞く

最近聞いている、引き寄せの法則に関するYouTubeで、
「頭で考えずにハートに聞く」ということを言っていた。
頭で考えることはノイズで、ハートで感じたことはハートの知性だそうだ。

私は今日、あることで悩んでいた。
このことをどの上司に相談すべきかどうか、ギリギリまで悩んで、悩んで、悩んで、、、


そーだ! ハートに聞けばいいんだ!とやっと思いつき、
「○○さんに相談すべき?」 ハート:しーん・・・
「相談しないほうがいい?」 ハート:しーん・・・
アレ? なーんにも感じない・・・ 微妙な緊張感しか感じない・・・。

そこで、「このことは忘れるべき?」 ハート: 少し反応(?)よくわからない
もっと突っ込んで、「許す?」 ハート:ぱぁぁぁぁ・・・⤴
許す?と聞いたとたんに、ハートはポカポカと温かくなり、気分も明るくなるのをハッキリと感じた!

ああーよくカウンセラーにも、頭でなくハートで感じろと言われ続けてきたけれど・・・
こうまでハッキリ、ハートの感覚を感じれたことはなかったかもしれない。

これがハートに聞くということだったんだ・・・!

遅すぎる感があるけど、やっと理解した。

頭で考えているとは、ノイズ。

ハートの知性に任せる。

これがハートを感じるということなんだ・・・

 

わー♪ うれしいーーーー♪

となったら、悩んでいることなんか、どうでもいいことに思えてきたからホント不思議・・・。

これに気付かせてくれるために起こった出来事だと思えば、感謝すら湧いてくる。

 

うわーーーーありがとうーーーー!!⤴⤴⤴

 

 

 

優しくされる価値?

ちょっと戻ってきてしまっている、また受け取り拒否しようとしている自分に気付く

突然仕事を手伝ってくれるようになった怖ーいお局様
あまりに申し訳なく、なんとか断ろうとしてしまう私…

いや、有難く受け入れればいいんだよね?これって…。
人に優しくされることに慣れてないから、つい受け取り拒否しようとしてしまう。

ものすごーく優しい私の好きな彼のことも、
私はあんな優しい笑顔をいただく価値なんてない~とか思ってしまってたりして…
優しさの受け取り拒否をしている自分にまた気付く

優しさには 優しさで返せばいいんだよ!!
笑顔には、笑顔で返せばいいんだよ!!

私ったら、どんだけひねくれてたんだろう?
優しさの受け取り拒否。

まだまだ、ブロックがあることに気付く。

一つずつ丁寧に、溶かしていくしかないんだろうな。

一人でも幸せになれる?

欠乏感はなかなか簡単に手放せなかった

感じていると、だれか一緒じゃないと楽しめない!という不足感が溢れてくる。

アレもコレも一人じゃ寂しいし楽しめない!

一人でどうやって生きていくの?ともはや泣きそう…

 

ソロモンの有名なセリフをノートに書いて毎日読んでいるのになあ…

 

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君の幸せが、他の誰かがやったりやらなかったりにかかっている時、君は罠にはまっているんだ。

なぜなら、他の人々の考えることや行うことを、君がコントロールすることはできないからさ。

でもね、自分の喜びは他人にかかっているのではないことがわかったら、その時には本当に自由になれるんだ。

----------------------(サラとソロモンより)

 

これは7つの習慣でいう、反応的な生き方と主体的な生き方だよなあ…

 

一人でも幸せを感じれることを一生懸命探してみた。

 

自然を感じている時。

綺麗な夕日や、星空を見ている時。

海を見ている時。

温泉に浸かっている時。

瞑想している時。

 

一人でも十分幸せ。

あー見つかってよかった…

 

でも、となりに誰かいたらもっと幸せだろうなあ…と思ってしまう

 

♫一人でもわたしは生きられるけど

  でも誰かとならば 人生ははるかに違う

   (誕生:中島みゆき)

 

不足感、欠乏感があったら引き寄せは難しいだろうなあということはよく理解できるんだけど…

「ない」という思いが「欲しい」という願望になり…願望を手放すことができないと現実化しない。

 

彼を好きって気持ちを制御できない。

制御できる恋なんてあるのかなあ

欲しいと思わず愛しなさいなんて言うけど…

難しいホント、

とほほだよ

 

 

 

 

求めることと欠乏感は同じ

求める気持ちを手放すと、持てる気持ちになる。

それに伴い、すでに持っているものに気づく。

人生を変える一番シンプルな方法」より

 

私が彼を好きだったのは、欠乏感からだったんだな〜〜と突如気付いてしまった。

そしたらなんかちょっと落ち込みそうになってしまい、すごい眠気が襲って来て、お昼休みは爆睡した…

目が覚めると、右腕のビリビリと共に、落ち込みそうになっていた気持ちも抜けていった。

やっぱり寝るのが一番( ̄▽ ̄):

 

あーんな素敵な旦那様が欲しかった…私にはいない…という欠乏感。

欠乏感からは何も得られない。

欠乏感を手放そう・・・

セドナメゾットに従って、欠乏感が私の中にあることを認めて・・・

愛して・・・感じ切って・・・手放す。花火のように打ち上げる。

感情は、感じ切って、手放す 手放す 手放す

 

 

 

 

 

睡眠=魂の洗濯?

どうも、午前中はものすごーくいい気分を保ててることが多いのに、午後~夜にかけては落ちてくることが時々ある。
たぶん、勝手な解釈ではあるけれど、太陽も少しは関係してるんじゃないかと思っている。
レイキでは、大光明。神道では、天照大御神
昼間は太陽の力で浄化されているものが、夜になると闇に紛れて襲い掛かってくるのでは・・・?
襲い掛かられても大丈夫なように、普段からエネルギーを高く保ってバリアを張っておけばいいんでしょうけど、波動が低くなってる隙をつかれることもある。

昨日の午後から突如コントラスト(比較対象、エイブラハムの教えでは、嫌な気分になる対象物のこと)が来てしまって、どどどよ~んとなってしまった。
いかんいかん・・・と這い上がろうとするも、まったく無理で、どんどんネガティヴな気持ちに引っ張られていく私・・・
こんな時、エイブラハムは「眠りなさい」と言っている。
軽く昼寝したくらいでは全然ダメだったので、珍しく早寝してみた。珍しく、というのは、ここのところ私はずっとショートスリーパーで、少しの昼寝さえすれば
夜は3時間も寝ればオッケーだったのだ。
静かな夜に「リアリティ・トランサーフィン」を読みふけるのが日課だったのだけど、昨日の夜はとにかく眠くて仕方なかったので、寝ることにした。
一応、自己ヒーリングはしたものの寝落ち・・・朝起きた時に続きをした。

すると・・・パラララッタラ~♪ 見事に元気回復♪♪♪
昨夜の「どよ~~ん」が嘘のように消えて、めっちゃポジティブな気分に!!

本当に眠ればボルテックスの中に戻って心の洗濯ができるのかもしれない。

悩んだり苦しんだりは、夜してはいけない。
とにかく眠ってしまうこと。
どうしても考えなくてはいけないときは、朝日を浴びながら考えよう!

ところで今回のコントラストだけど、エイブラハムは次のように言っています。

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ボルテックスに居続けると
確かに気分が良いかもしれない…

でも、本当に気分が良いと感じるのは、
コントラストで自分の願望を明らかにし、

再びボルテックスに入った時だよ

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たまには、落ちてしまうことも必要なのかもしれん(-_-)

なので、そんな落ち込んでしまった自分を責めずに、では、どうなりたいのか? どうしたいのか? どんな自分でいたいのか?
と、問い直すきっかけにすればいいんだね!!

キャー、今日も気付きをありがとう!エイブラハム~~~♡

素直な気持ちを伝えるということ

相手の内的意図、つまり存在意義を認めてあげるってことを前回の記事で書いたけど、自分で書いておいて、書くと理解がグッと深まるという不思議を経験しています。
昔からそうだったけど、インプットしたときより、アウトプットするときのほうが理解が深まる気がする。もしかすると女性独特なのかもしれない。

うちの会社は転勤が多く、出入りが激しい。しかし本社は土地が高いから縮小傾向にあり、こっちのほうが人が多くなりつつある。
来る人もいれば、帰る人もいて・・・私はいつもさみしい気持ちだった。
ある時、ちょっと仲良くしていた方が本社に転勤が決まり、私にも挨拶に来てくれた。
私は思わず、「さみしいです」と、普段は言わない言葉をいった。
彼は少し動揺して、「バカ」とか言いながら去っていったけど、明らかに嬉しそうだった。
あれって今思えば、存在意義を認めてあげたのでそれで喜んでたってことだよね?

普段思っても言わなかったのは、恥ずかしかったから。
でも、もっともっと、言ってればよかったんだ!! ここにきてくれてうれしい。とか、行ってしまったらさみしい。とかを正直に言うべきだったんだ。
あまりにも出入りが激しいので、慣れっこになったふりをしていたけど、本当はいつも別れがさみしかった。春が嫌いだった。

自分の恥ずかしいなんて気持ちなんか置いておいて、正直に、素直に、言葉にすればいいんだ。
そしたらみんな喜んでくれたのに・・・。

大好きな人たちが心から喜んでくれるという喜びに比べたら、私の「恥ずかしい」気持ちなんか、本当にちっぽけなプライドではないか。
なんかそれが突然わかって、雷に打たれたような気分だ!

 私はこれからは、恥ずかしいなんて気持ちはかなぐり捨てて、素直に心を伝えると決めた。

あなたがいてくれてうれしいと、それを伝えることの一体何が恥ずかしいのか?

恥ずかしいなんて気持ちは、自分目線。自分の都合で、自分本位だから。

相手の気持ちになったら、言ってもらえたらどんなにうれしいか。どんなに救われるか・・・。

今すぐ、大声で叫びたいくらい!

あなたが生まれてきてくれてうれしいって!!

そして出会えてうれしいって!!