楽~になる生き方

楽~に、心地よく生きていこう

自分だけが知っている

素手でトイレ掃除をすると、臨時収入が入ってくる・・・
とかいう噂は大昔からまことしやかに流れていて、
凄い昔に実際にやってみたことがある。
結果、公務員を退職した叔母から10万円いただくという、
「これは本当だった!!」という実証まである。

しかし実証できたことに満足してその後はほとんどやらなくなり、
今では気が付いたときにフツーに掃除するのみになってしまっていた。

最近、なぜかやたらとトイレ掃除、いやとにかく掃除、という
ブログやYouTubeを見かけるようになり、なんとなーく
「またやってみるか…」という気になってきた。

それであんまり意気込んでやると続かないので、
「トイレに入ったときは絶対に完璧にやる」とか決めないで、
「時間に余裕があるときはやる」「せめて使う前よりは綺麗にして出る」
程度にゆる~くやろうと決めた。
何せ、素手でやるので(とはいってもトイレットペーパーは使います、
小林正観さんみたいに、手でヌルヌルを落とす、とこまでは到底できそうにない(-"-))
掃除後の手洗いも念入りにしなきゃで大変だし、毎回はとても無理。

それでも会社のトイレは毎回、「使う前よりは綺麗に…」と思って
床まで拭いたりしてみた。
会社のトイレは清掃員の方が週に3回も掃除してくれるので、
それなりに綺麗だ。が、土足の会社なので床は結構汚れる。
ついでに、洗面台も水はねが多いので必ず拭くようにしてみた。

絶対に誰も見ていないであろう個室で、黙々と掃除をしていると
「誰に褒めてもらえなくてもやっている自分、エライ~!」
と思えてくる(^_^;)
そう、誰が見ていなくても、私は見ているのだ。
私のしていることを、私だけが知っている。

私の発した言葉は、誰が聞いていなくとも、私の体が聞いている。

掃除後は、意外に気分がよくなっていることに気付いた。
あー、いいことした!と。

やってみると、綺麗なトイレは本当に気分がいい。ちょっとあがる⤴
臨時収入目当て(笑)ではあるが、気分がいいのでしばらく続けてみようと思う。

 

 

 

 

 

 

石井ゆかりさんの文章が圧巻!

なんなの、このタイトル・・・(笑)
でも、そうなの。
本当に圧巻過ぎて、雷に打たれたみたい(>_<)

 


  昔から石井ゆかりさんの星占いの大ファンで、
「星占いの」というより、彼女の書く文章の大ファンで、
その美しさ、比喩の素晴らしさ、深さ・・・
もう、すごいと思う。
そんじょそこらのスピ系の本なんて足元にも及ばない位(^_^;)

 「もし、何の期待も恐れも抱かなくなったなら、
  それは、生きているということから
     かなり遠ざかった状態なのではないかと思います。」

うわぁホントそう~~~!!と思った。
これはエイブラハムもよく言っていることだけれど、

 「あなたたちは、生まれてくる前に、全てが思い通りになり
  それを観察するだけの人生でいいとは言わなかった」

ということなんだよね・・・。

マット・カーンさんもこう言っている。

 「あなたは気づいているかどうかわかりませんが
  あなたの人生に起こる全てのことは
  あなたの体に、ある感情を運んで来て
  あなたがそれを認識するためだけに起こっているのです。」

更に言うと、ガンガジもこう言っている。

 「体験していることに対して、抵抗"しない"
      もがか"ない"  じたばた"しない"
  自分であれこれコントロールしようと"しない"
  何も"しない" すべてやめた状態

  受け入れる、ということは、まだ何かをすることですが
  "しない"のです。
  それが体験から分離していない状態です。」

心を殺して、どんな状況にも動かない凪のような状態を目指すのではなく
どんな嵐が来てもそれをじっくり眺め、味わい尽くし、感じ切る。
感じ切ったとき、祝福が生まれ、感謝が湧いてくる・・・。

生きる。
生き切ろう。
感情を殺さずに、味わいつくそう。
生き辛さを、苦しさを、切なさを、渇きを、
排除したいと思える感情たちをも、逃げずに味わい尽くし、
感じ切り、自分の中にあることを認め、見つめ、愛そう。

それが生きてるってことだから!

 

 

 

その痛みをも愛する

あるお誘いをしていて、あまりにもたくさんの人に断られて
「いたたたたた・・・・」となってしまった(>_<)
まあ最近は「いつも通り」(?)結果的に最高のメンバーになるので
最終的には宇宙におまかせして、実際にそうなったのだけれど、
あまりにもたくさん断られたので傷が残ってしまった。

断られるって、結構痛い。
だけどいちいち傷付いていたのでは先に進めないし、
相手にも気を遣わせるので痛くないふりをしていたんだなあ…
と気付いて、その痛みをじっと感じてみた。

断られると、胃のあたりが重苦しくなる。
更に、無視されると、胸のあたりに鳥肌が立ったような感覚になり、
肩甲骨のあたりがザワザワとする。
あー、ハッキリ断られた方がダメージが小さく、
誘いを無視される方がダメージが大きいんだなあ…と感じた。

その痛みをじっと感じていると、「こんな感情もあるんだなあ…」
と愛おしくなってきて、痛みもを愛する、という言葉の意味が
ようやく体感できた気がした。
逃げずに感じていると、その痛みに出会えたことに感謝がわいてきた。
感謝できたら、もう痛みは痛みではない。

そして、アドラー心理学でいう「課題の分離」がようやっと理解できるようになってきた。
自分の人生に起きるすべてのことは自分で責任を取る。ということも…。

今まで私は人一倍本を読んできたと思うけど、その知識が
どんどん腑に落ちてきている。
あんなにわからなかったことが、今はわかる・・・

令和はそういう時代なのだろうか。
やたら虹の架け橋を見るのは、神の祝福だと思っていいのかな。

 

 

 

困難=感謝

昨日のブログに、「無価値感」に苦しめられていたことを書いたけど
あの、消えてなくなりたいという苦しみの原因が無価値感で、
それに対するアンサーがまたマット・カーンさんの言葉の中にあった。
全てがリンクしていてビックリする。
だって、これを読む前に気付いていなかったら、
この文章に出会っても理解できなかっただろうから。

 

感謝感謝感謝感謝感謝…人生には感謝しかないのだ。
これは決して綺麗事なんかじゃない。
たしかに、嫌なこともあるし辛いこともあるし耐え難いことだってある。
だけど最終的には感謝しかないのだ。
最後の最後に感謝できれば、それでいい気がする。

どんなに憎んだ人も、嫌いな人も、どうしようもない人も、別に愛せなくていいのだ。
無理に愛そうなんてしなくていいのだ。
なんなら嫌いなままでいいのだ。
嫌いなままでも感謝はできる。
貴重な学びだったと、感謝できるのだ。

不自由(困難)を感じた時に、今まで当たり前だと思っていたことに感謝の気持ちがわいてくる。
例えば最近感じた不自由は、水害のため電車が2週間以上不通になってしまったこと。
今は当たり前のように動いてるけど、あの時の大変さを思うと、ただ電車が走っていることにものすごい感謝の気持ちが湧いてくるというものだ。
そうなると、もう起きてくる全ての出来事に、感謝しかなくなってしまう。
人生のあらゆる出来事に価値を見出すと、自ずと感謝がわいてくる、
とマット・カーンさんも言っている。

あんなバカみたいな出来事も…
あんな苦しい思い出も…
全部全部、宝物みたいに輝いて見える。

ああ、私、死期が近いのかもなあ…(笑)

 

 

 

I'm OK,you're OK.

何回も書いてるけど、ほんの少し前の私は・・・
大好きな人に愛されないような自分は、死んでしまった方がいいと
本気で思って苦しんでいた。

くるしくてくるしくてたまらなかった。
息も絶え絶えでした。

毎日が自己嫌悪と後悔の嵐、
本気で死ぬ方法を考えるところまではいかなかったけど、
とにかくこんな自分は消えてなくなればいい、と思っていた。
生きている価値がないと、、、そう、無価値感に苦しめられていた。

あんなに苦しんでいた自分を、今はものすごく愛おしく思う。
飛んで行って抱きしめてあげたいと思う。

今だって生き苦しいと思うことはあるし、
強烈な自己嫌悪や劣等感や羞恥心に苛まれることもあります。
でも前と違うのは、それでもいいと思えること。
そんな自分を、許せること。許可できるということ。
つまり、自己受容できているということ。

醜い自分を、意地汚い自分を、卑怯な自分を、
他人を愛せない自分を・・・
そんな自分をも、許可できるということ。

どんな自分も、愛するということは
どんな自分も、許すということ。


例えば私は、「はしゃぐ私」が嫌いだった。
さいころ、はしゃぐと必ず叱られた。
姉兄にはバカにされた。
小さな子供がはしゃぐことの、何がいけなかったのかわからないけど、
私は自戒し、極端にはしゃぐことをやめた。
10代のキャビキャビ(死語?)していたころすら、恐ろしく抑えていて
やけにクールなJKだったと思う(-_-;) 落ち着き過ぎていて、よく年を言うと驚かれた。
そのせいでお酒を飲むと蓋が外れてはしゃいでしまい、
ものすごい自己嫌悪に陥った。未だに、はしゃいだ後は自己嫌悪に陥る。
ものすごくはしゃぐ女子を見ると胸糞が悪くなる(爆)

だけど、そんな私をも許す。
はしゃいじゃった自分も、はしゃいでる他人を見てイラつく自分をも許す。許せなかったら、許せない自分を許可する。
どんな自分をも許可する…。

これが自分を愛するということ。
ただ、許容する、それだけ。

こんなこと、頭ではわかっていたし、腑に落ちているようなつもりでいた。
だけど、全然わかってなかった、全然許可出来てなかった!

キライな自分にもOKを出すと、嫌いな他人にもOKが出る。
キライだけど、OK! 好きになれないけど、OK!
許せなくてもOK! 嫌われてもOK!
上手く笑えなくてもOK! 全然ウケなくても、OK!

ぜーんぜんわからなかった、心屋仁之助さんが言ってた

You're  not OK. I'm OK.

I'm not OK.

I'm OK,you're OK.

このプロセスが、やっとやっとやっと、わかってきたよ!

 

 

 

 

周囲・状況を 愛せない自分をも愛する

前回に引き続き・・・
マット・カーンさんの言葉を読んでいると、
殆どは難しくて眠くなってしまうのだけれど(^_^;)
ところどころハッとするほど腑に落ちる箇所があって…
まさに、ハートがエクスタシーを感じて
しばらく動けなくなってしまうほど。

「あなた自身に自分の旅を大嫌いだと思ってもいいという許可を与えると

 その旅を一生懸命している人を愛すのが楽になります。」

この言葉にも、うわぁぁぁぁぁぁぁ…となってしまった~~


自分の人生を好きになろうと頑張ると・・・
自分を愛するのが本当に難しくなってしまう。

だから、こんなつらい人生、大っ嫌いだ!と正直になると
そんな辛い人生を必死に生きている自分が、愛しくなる。

どんな時も、どんな状況にあっても、どんなことを感じていても、
そんな自分を愛する。
悪態をつく自分を愛する。
嘆き苦しむ自分を愛する。
自分の人生やその登場人物たちを愛せなくたっていい。
憎んだっていい。怒ったっていい。
正直になっていいんだ。感情を押し殺さないで。
聖人君子になれなくていい。(というかなれるはずがない)

何が起こっても、何も起こらなくても、
どんな時も、そんな自分を、愛する。
高い視線から自分を見下ろせば、必ず愛せます。
周りの人や状況を愛せなくてもいい。
苦しんでいる自分を、取り乱す自分を、高慢な自分を、
醜い自分を、、、

神の目線から見れば、必ず愛せます。

 

だからオールオッケーなのです。

 

 

 


 

思い通りにならない人生をも、愛する

マット・カーン(Matt Kahn)というアメリカ人男性がチャネリングした内容を
訳してくれたこちらのサイトを読んで、うわーー!!と叫びたいほど
最近の考えが腑に落ちた…。

どんな自分も、必死で頑張ってきた。
過去のどんな自分も必死で生きてきた。
そんな自分をものすごく愛しく思う、と
最近のブログでも何回か書いてきたけど、
まさに、本当に、そうなんだと…

「自分の思い通りに行っていても
 思い通りに行かなくて腹を立てていても
 また、そのことを大したことだと思おうと思わまいと
 とにかくあらゆる場面で自分自身を愛することに意味があるのです。

  あなたは自分を愛するためにここにいるのです。」

この文章を読んで、ハートがエクスタシーを感じて震えた。
やっぱり、そうなんだ!
ネガティブなことを考えても、誰かを憎んでも、ものすごく腹が立っても、
ずるくても、バカでも、役に立たなくても…そんな自分自身が嫌いになっても。
そんな自分を愛する。
そんな必死な自分をメチャクチャかわいいと思う。
という最近の感覚が、これでいいんだと、確信を得たような気がした。

是非、たくさんの人に読んで欲しい。

思わず、マット・カーンさんの本、買いました。
週末には読めるかな?

何が起きても、それを愛する