何回も書いてるけど、ほんの少し前の私は・・・
大好きな人に愛されないような自分は、死んでしまった方がいいと
本気で思って苦しんでいた。
くるしくてくるしくてたまらなかった。
息も絶え絶えでした。
毎日が自己嫌悪と後悔の嵐、
本気で死ぬ方法を考えるところまではいかなかったけど、
とにかくこんな自分は消えてなくなればいい、と思っていた。
生きている価値がないと、、、そう、無価値感に苦しめられていた。
あんなに苦しんでいた自分を、今はものすごく愛おしく思う。
飛んで行って抱きしめてあげたいと思う。
今だって生き苦しいと思うことはあるし、
強烈な自己嫌悪や劣等感や羞恥心に苛まれることもあります。
でも前と違うのは、それでもいいと思えること。
そんな自分を、許せること。許可できるということ。
つまり、自己受容できているということ。
醜い自分を、意地汚い自分を、卑怯な自分を、
他人を愛せない自分を・・・
そんな自分をも、許可できるということ。
どんな自分も、愛するということは
どんな自分も、許すということ。
例えば私は、「はしゃぐ私」が嫌いだった。
小さいころ、はしゃぐと必ず叱られた。
姉兄にはバカにされた。
小さな子供がはしゃぐことの、何がいけなかったのかわからないけど、
私は自戒し、極端にはしゃぐことをやめた。
10代のキャビキャビ(死語?)していたころすら、恐ろしく抑えていて
やけにクールなJKだったと思う(-_-;) 落ち着き過ぎていて、よく年を言うと驚かれた。
そのせいでお酒を飲むと蓋が外れてはしゃいでしまい、
ものすごい自己嫌悪に陥った。未だに、はしゃいだ後は自己嫌悪に陥る。
ものすごくはしゃぐ女子を見ると胸糞が悪くなる(爆)
だけど、そんな私をも許す。
はしゃいじゃった自分も、はしゃいでる他人を見てイラつく自分をも許す。許せなかったら、許せない自分を許可する。
どんな自分をも許可する…。
これが自分を愛するということ。
ただ、許容する、それだけ。
こんなこと、頭ではわかっていたし、腑に落ちているようなつもりでいた。
だけど、全然わかってなかった、全然許可出来てなかった!
キライな自分にもOKを出すと、嫌いな他人にもOKが出る。
キライだけど、OK! 好きになれないけど、OK!
許せなくてもOK! 嫌われてもOK!
上手く笑えなくてもOK! 全然ウケなくても、OK!
ぜーんぜんわからなかった、心屋仁之助さんが言ってた
You're not OK. I'm OK.
I'm not OK.
I'm OK,you're OK.
このプロセスが、やっとやっとやっと、わかってきたよ!