楽~になる生き方

楽~に、心地よく生きていこう

郷愁

今年も新潟に行ってきた。
私はなぜか新潟にたまらなく惹かれる。
海に沈む夕陽が見たくなる。

新潟に親戚がいるわけでも知り合いがいるわけでもないんだけれど、
私の祖母は新潟出身だったようだ。
私が高校生の頃に亡くなったし、両親も亡くなっているので
彼女の細かい出身地すら知らないけれど、海に片足を突っ込んだような
そんな生家で生まれ育ったようだった。
しかし中学を出てすぐに「ああ野麦峠」のように、
集団で製糸工場に売られて(?!)きて、
そこで私の祖父と出会い、そのまま10人もの子供を産み子育てに追われ、、
この地で戦争も体験し、実家に帰ることなどほぼなかったと思われる。

私と名前も一文字違いの祖母は、ものすごく優しい人だった。
怒ったことなど一度もなかったと父も言っていた。
昭和初期の剛健な父権制のもと、ものすごく怖かったという祖父に従い
三歩下がった大和撫子だったようだ。
当然車も車の免許もなく、出歩くこともほとんどなかった祖母は、
きっと生まれ育った新潟の海に恋焦がれていたのではないかと夢想する。
その郷愁が私に乗り移り、こんなにも長時間車を飛ばしてでも
新潟の海を見に、年に一度は必ず村上を訪れている。

今年はついでに、南下して「直江津」まで爆走してしまった(^_^;)
娘が、最近オープンしたての世界一の無印良品に行きたい!
というので、村上からさらに200キロも南下してみた。
そこからみた海も、梅雨空であったにも関わらず、美しくて
本気でここに住みたいとすら思った。
ものすごい郷愁。
これは一体何なんだ?と思うと、やはり、15才で故郷を離れた
祖母の郷愁なのではないかと思わずにはいられない。
祖母はきっと、海のそばで暮らし海と共に生き、
毎日海に沈む夕陽を眺めていたに違いない。。。

それが、わずか15才で、海から遠く離れた内陸の私の生まれた土地に
半ば強制的に送られ、亡くなるまで出られなかったのだ。
どんなにか海が恋しかっただろうか。
想像しただけで泣けてくる。

明治に生まれ昭和を生きた、女性が今よりずっとずっと不自由な時代を
体験したかった魂なのかもしれないけれど、
今はもちろん解放されているだろうけれど、
祖母の優しい笑顔を思い出すにつれ、その長く苦しい囚われた人生を思うと、
切なさで胸が痛くなる。

私はこの郷愁に従ってこれからも日本海の海を眺めに爆走するだろう。
いつか本当に、あの海辺の町で暮らせたらなあ と思っている。