楽~になる生き方

楽~に、心地よく生きていこう

受け取り拒否していた⑤

そう、私はビビってたんだ。
自信がないからってあらゆる状況を受け取り拒否して、
ただ遠くから眺めているだけを選んで、だけどそれでは空しいだけで…。

望んでいながら、願っていながら、宇宙にお願いしておきながら、
結局私というヤツはビビりで、受け取って責任取るのが怖くて、逃げてた。
逃げてしまった状況は虚しく飛び散り空中浮遊した。

・・・このまま生きていくの?

このまま、あらゆるギフトを受け取り拒否して、満足な人生からかけ離れていくの?


もちろん、そんなのはいやだ!!!

この宇宙からのギフトを、すべて受け取りたい。
素敵なものばかりではないかもしれない。
嫌な、いらないものもあるかもしれない。
だけど余すことなくすべてを受け取り、流していきたい。

私は最高のものを受け取ってよかったんだ。

「次点」のものしか値しないなんてことはなかったんだ。

もう何一つとして、受け取り拒否しないと決めた。
すべて受け取る。それが人生じゃないか。
一体何を怖がっていたのだろう?

決心したら、私の人生は変わっていくと、やっと、やっと思えた。
決意が足りなかっただけなんだ。
すべてを受け取るということは、すべての責任を取るということ。
ビビっていた私は、この責任を取るということが怖くて、
長い長い長い間受け取り拒否を続けていた。

よく「近寄るなオーラ出してる」って言われてて、意味がわからなかったけど、
本当に出てたんだ!近寄るなオーラ!!
そりゃあ運も人も逃げていくよね!!


本当に生まれて初めて、決めた。
私は何もかも受け取るって。
受け取るといっても、腹にためるということではないことも、わかっている。
受け取っては消化して栄養にしたり、ただ流したり、人に与えたり、教えたり、
とにかく、一度受け取らないことには始まらなかったんだ!!!

それに今まで気づかなかったなんて、なんてこった!!!

私の人生はこれから変わっていくと、生まれて初めて、確信している!


(おわり)

受け取り拒否していた④

私の娘たちは、子馬鹿(そんな言葉ある?)なのか、私のことをほめまくってくれる。
ママは可愛い、すごい美人だ、ママの料理はものすごく美味しい、とにかく自慢のママだと。

私はそれを素直に受け取れなかった。これまた受け取り拒否していた。
そんなわけないじゃん!じゃあどうしてモテないのよー なんて言って…。
とにかく自信が全然なかった。自己卑下ばかりしていた。

昨日も帰るなり、娘は「ママ可愛い~、ホントに可愛いよね!」と言ってくれた。
ふと、そんなに可愛いなら、彼も少しは可愛いと思ってくれているのでは?と
私にしてはかなり図々しいことを考えてみた。
いつもものすごーく優しいし、ニコニコ笑顔を向けてくれて・・・
でも私は恥ずかしいのと自分に自信がないのとで、これまた受け取り拒否していたんだと思う。
優しい彼にうまく対応できなくて、いつも苦しかった。

思えば言い訳ばかり考えていた。
私には、素敵すぎる。賢すぎる。足長すぎる(笑)しイケメン過ぎる。
すべてにおいてレベルが高過ぎて私とは釣り合わな過ぎる。
だから諦めるべきだって、自分に言い聞かせていた。

だけど苦しくて苦しくて・・・引き寄せのための「いい気分」を保つことが
本当に難しくなって、もがいていた。
そうなってやっと、私は一体何を求めているの?と自問自答した。

レベルが違うとかなんとか、だから何なんだ!
ビビってんじゃねー!! 好きなものは好きなの!

・・・と降りてきた(^^;)
結局、腹くくれてなかっただけだったんだ。
受け取る勇気がなかっただけなんだ!


(つづく)

受け取り拒否していた③

この子供のころのトラウマを生かして、もらえるものはもらっておくという図々しい性格に、私は、、、、当然、なれなかった。

相変わらず遠慮して、自己卑下して、私なんかにそれはもったいないとばかりに
あらゆることを受け取り拒否して生きてきてしまったのだ。
なんておバカちゃんだったんでしょう・・・呆れちゃうわ(-"-)

自分をものすごく低く見ているから、受け取れるものはすべて二流以下。
一流のものに憧れるものの、とてもじゃないけど自分なんかには相応しくない…
とことごとく受け取り拒否してきた。(もちろん無意識に)

こんなんじゃ満足いく生活なんて送れるはずがなかった。
恋人も二流以下、家も収入も人並以下、友達もまわりから「どうしてあの人と仲いいの?」と言われちゃうような人を選んでしまうし、当然非正規社員のまま。
仕事もやりたいことをやっているわけじゃない。

昨日、たまたま好きな人とほんの少しのズレで「すれ違えなかった」という経験で、
私がいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも受け取り拒否していたんだ!!ということに、ついに、ついに気付いてしまった。
いや、だいぶ前から気付いてはいたものの、どうしていいかわからなかったんだ。

私の好きな人は超ハイスペック。当然私は及び腰。
好きで好きで仕方ない割にはいつも逃げ腰で、諦める、忘れることばかり考えていた。

しかしその人は素敵すぎて・・・魅力的過ぎて、全然忘れられなかった。
いつもいつも苦しくて、諦めるしかないって言い聞かせてもハートは騒ぐばかり。

一体どうしたいの?
もしも宇宙が私の意のままになるとして、私は何を望んでいるの?
と私は自問自答した。苦しさゆえに、聞かずにいられなかった。


(つづく)

受け取り拒否していた②

私は昔から、願望が「ズレて」叶うことに気付いていた。
私から、ほんの少しだけ「ズレて」いるのだ。

例えば建てたいと思っていたハウスメーカーの家が、うちの目の前に建ったり…(もちろん他人の家)
ここでお店を開きたい!と思っていた空き地に、その全く同じ業種のお店が出来たり…(もちろん他人の店)

母をハワイに連れていきたい!と思ってたら、母だけが行くことになったり・・・(私は一緒に行けなかった◞‸◟)


どうしてなのだろう?とずっと不思議だった。

そして昨日。
その好きな人と裏門ですれ違うだろうという予感があった。
そして裏門に行くと、本当にその人は来た!(ビックリした)
しかしタイミング的に少しだけ「ズレて」いて、
すれ違うことはできなかった。

ほんの少し。ほんの少し早く出ていれば来たのも気付かなかったし、

(気付かなければ気付かないで平和だし、気のせいってことで済ますじゃん?)
ほんの少し遅く出ていれば挨拶して一言二言お話できたのに、
来たのには気付いたけど少し遠く、また「ズレて」いることに気付いた。

そういえば、その人が来たらお菓子あげよう♪と思っていたら、
隣の女性(普段はいない人)が先にあげていた…ということもあったなあ~(^^;)

私は宇宙に願いを発する。
私に甘い宇宙はその願いを受け入れてその状況を用意する。
慣性の法則によりその状況が出来上がるまでにはある程度の時間がかかる。
さあ、できたよ受け取って~~と宇宙は私にその状況を授けようとする。
ところが!!
願ったものの私はそれを受け取るにふさわしくない等と自分を卑下して、せっかくのギフトを受け取り拒否する。

行き場のなくなった「状況」は、たまたま私の横にいた人が受け取る。
ラッキー♪とばかりに・・・。

そして私はその「状況」を目にして、あれ?なぜ私の隣で私の願いと
同じことが実現しているのだろう?と不思議がる・・・

子供のころこんなことがあった。
叔母が私の大好きなお菓子を食べていた。
半分ほど食べたところで、私に「食べる?」と聞いてきた。
私は自分が物欲しそうな顔をしていたせいで叔母が気を使って
そう言ってくれたと深読みして、「ううん、いらない」と遠慮してしまった。
しかし叔母は単にもう食べ飽きていただけだったのだ。
私の隣にいた姉に「もうおなかいっぱいなの、食べてくれない?」とさらに聞いて、姉は素直に「いいの?ありがとう♪」と言って、私に分け与えることなく一人でペロッと食べてしまった!

この事件(?)は私のトラウマとなり、食べ物の恨みは恐ろしく、
私はいつまでも長々とこのお菓子に固執することとなった・・・
(見ると買ってしまう、さすがにもう飽きた-_-)


(つづく)

受け取り拒否していた①

2018年は自分でもビックリするくらい、何もしなかった…

ちょっと、あきれるくらいだ。

もちろん普通に生活してたし仕事もしてた。

引き寄せ的に、スピ的に、なんにもしないで眠っていたような気さえする。

 

年末くらいからさすがにヤバイと思ったのか、

ひとりさんの天国言葉を通勤の車の中でブツブツ言い出してみたものの、

ほんっとそのくらいで、あとは意識が眠っていた(◞‸◟)

 

起き出したきっかけは、人を好きになったこと(!!)

笑顔がおそろしく素敵なその人のようになりたくて・・・

(♪たかが知人Bに向けられた笑顔があれならもう恐ろしい人だ♫ by高嶺の花子さん)

少しでもその人に近づきたくて・・・

このまま、眠っていたままではダメだ!!と突然目が覚めたんだ。

(つづく)

 

 

 

自分に起きることは、全部自分の責任

最近はずっと都留晃一さんのメッセージ集と、
ガンガジとの対話を読んで内観しています。

「ガンガジとの対話」の
「あなたの目覚めに対して、ご自身で責任をお持ちなさい」
を読んで気付いたこと。

私は長いこと、「笑顔になれない」ことに苦しんでいた。
もちろん面白いことや楽しいことがあれば当然笑う。
でも、そうでないときも「笑顔は大事」「まずは笑顔から!」
「挨拶は笑顔で!」etc… 笑顔が一番!という風潮(?)に
笑顔が作れない自分に苦しんできた。

それにはトラウマともいえるきっかけがあった。
何度も何度も現れるこのやっかいなトラウマを癒そうと、
セラピストのカウンセリングを受けたりヒーリングを受けたり
様々なことをしてきたけれど、その時は納得してもまたすぐに
いつの間にか戻ってきてしまう…気が付くと戻っていることに
苛立っていた。また、これかと…。

嫌な感情が湧いてきたときに、そこから逃げずにその感情に沈み込む、
ということをやっていると、いつもこのトラウマにたどり着いてしまう。
もう何度も何度も癒しているはずなのに、またか!と思う。

なぜ、おそらく8才位の時のトラウマに戻ってきてしまうのか…
その理由がやっとわかった気がする。

私はそのトラウマの原因となった友人の母親のことを
ずっとずっと許せなかったのだ。
そしてずっとこのことを、彼女のせいにしてきた。
笑顔になれない理由を、彼女の責任と押し付けてきたんだ!

だけど、自分に起こったことはすべて自分の責任。と捉えると
あの一言すら、引き出したのは私の責任
もっと言えば、あの出来事は、私が作り出したこと・・・!

私は、笑いたくなったのかもしれない。
面白くもないのに、笑顔を作るのが苦痛だったのかもしれない。
自分の気持ちに従って無表情でいて、
それを他人に咎められると、彼女のせいにしてきたんだ。 

「嫌われる勇気」にも書いてあったことだ。

人は、理由を後付けすると…。 

30年もの間、魔物のように思ってきた彼女のことを
イメージの中で、笑顔にしてみた。
いつも、鉄仮面のように表情のなかったあっこちゃんのお母さんが
柔らかく 美しく 光の中で微笑んでくれた。
ありがとう、ごめんなさい…長い間悪役にして。

心の中の大きな氷塊が、氷解して 全身を緩めて、小さな光になって
私の体から蒸発するように 天に昇っていく感じがした
やっと、手放せたのかも、しれない

草笛光子さん

めざましテレビをなんとはなしに見ていたら、草笛光子さんが出ていた。

亡くなった母より一つ上とは思えない、若々しく颯爽とした佇まい・・・

なんて素敵な人なのだろうか。

実のところ、子供のころから彼女のことをテレビで拝見していたけれど、

妙齢の女優さんという他のたくさんの母親役を演じる方々の一人という感じだった。

 

ところが今朝見た彼女の、キラキラした瞳に私は心を射抜かれた。

なんという美しさなのか。

御年84才。5年も前によぼよぼになって亡くなった母と、何が違うのか。

朝の支度のあわただしい中、それでも私はテレビに釘付けになってしまった。

 

今年55才だという軽部アナが、「アナウンサー人生も終わりに近づいてきて、

これからどうしたらいいかわからない」というようなことを言ったとき、

草笛光子さんは一層キラキラした瞳で「これからじゃない!」と言った。

 

「今まで一生懸命頑張ってきたんだもの。今まではお勉強、これからが本番よ」

 

うわー。内面の輝きが外側に現れるってこういうことかー!!

 

人生の折り返し地点に立って、これからやってくるだろう老後に不安しかなかった。

だけど、そうか、これからが本番。今まではお勉強してただけ。

 

なーんて素敵な人なのだろう、草笛光子さん。

一気に大ファンになってしまった。

増刷を繰り返しているという彼女の写真集、買ってしまうかもしれない。