運転しているときって結構ボーっとしていることが多くて
(もちろん運転には集中してる・・・つもり^^;)
気付きが降ってくることが多い。
今朝は、前のブログで書いた「過去の自分の全てが愛しい」
過去の自分の、どんな尊い行動も、どんな愚かしい行動も、
全てが愛しくかわいく思える、だっていつだって必死だったから。
を感じていたら・・・
桜井識子さんの本に書いてあった、うろ覚えなんですが(^^;)
山の神様に聞いた話として、高い山から見下ろす神の目線で、
人間は小さく、だけど一生懸命に生きていて、必死で、それがすごくかわいいのだと。
後でちゃんと読み直して書き直したいとは思うんですが(^_^;)
ザックリこんなことが書いてあって、それを思い出した。
その時、私の目にもその光景が浮かんできて・・・
神の目線から見たら、人間はとても小さく、一人一人が必死になって生きている。
自分を犠牲にして人を助ける尊い人生を送る人もいれば、
人を騙したり傷付けたりして私腹を肥やす人もいるけれど、
神の目線で見ればそのどの行動も必死で、必死に生きていて、
それがおそろしく小さくてかわいくて愛おしい。
助けてあげたくなるし、がんばれと応援したくもなる。
あまりにもひどいときは気付かせてあげたくもなる。
(ちょうどゲージに入ったハムスターを上から眺めてカワイイ~♡ひっくり返ってたら助けてあげたくなるし一人で起き上がれたらがんばったね!って言ってあげたくなる親心みたいなものだと想像する(^^;))
災害に遭い打ちひしがれている人々を見れば一緒に涙し、
豊作に喜んでいる人々を見れば一緒に喜び・・・
体験そのものを、愛おしんでいる。
高い目線で見れば、どの人間の人生も等しく体験であり、
どの人生も尊く、愛おしい・・・
これは私の半世紀生きてきた人生を振り返って感じた感覚に
畏れ多くも(^^;)近いと感じた。
これが全一愛なのかなって・・・。
どんな嫌いな人もその目線で見れば必死で生きているのが伝わってきて
かわいくて愛おしく思えてくる。
がんばってるんだよねって。
必死に生きてるんだよねって。
幸せになりたいんだよねって・・・。
みんなみんな幸せになりたい。
それで必死になってもがいている。
神は等しく愛を注いでくれているけれど、気付かなくて受け取れない人も多い。
だけど、いつだって愛は降っていたのだ。絶え間なく、平等に。
私はチャクラ全開でそれを受け取りたい。
今まで鎧を着て受け取り拒否してたんだ。
鎧を脱いだらカッパ着てたりしてさ・・・。
カッパ脱いでも傘さしたままだったりさ。
傷付くことを恐れずに、裸になって、この常に降り注ぐ神の愛を受け取りたい!