楽~になる生き方

楽~に、心地よく生きていこう

受け取り拒否していた②

私は昔から、願望が「ズレて」叶うことに気付いていた。
私から、ほんの少しだけ「ズレて」いるのだ。

例えば建てたいと思っていたハウスメーカーの家が、うちの目の前に建ったり…(もちろん他人の家)
ここでお店を開きたい!と思っていた空き地に、その全く同じ業種のお店が出来たり…(もちろん他人の店)

母をハワイに連れていきたい!と思ってたら、母だけが行くことになったり・・・(私は一緒に行けなかった◞‸◟)


どうしてなのだろう?とずっと不思議だった。

そして昨日。
その好きな人と裏門ですれ違うだろうという予感があった。
そして裏門に行くと、本当にその人は来た!(ビックリした)
しかしタイミング的に少しだけ「ズレて」いて、
すれ違うことはできなかった。

ほんの少し。ほんの少し早く出ていれば来たのも気付かなかったし、

(気付かなければ気付かないで平和だし、気のせいってことで済ますじゃん?)
ほんの少し遅く出ていれば挨拶して一言二言お話できたのに、
来たのには気付いたけど少し遠く、また「ズレて」いることに気付いた。

そういえば、その人が来たらお菓子あげよう♪と思っていたら、
隣の女性(普段はいない人)が先にあげていた…ということもあったなあ~(^^;)

私は宇宙に願いを発する。
私に甘い宇宙はその願いを受け入れてその状況を用意する。
慣性の法則によりその状況が出来上がるまでにはある程度の時間がかかる。
さあ、できたよ受け取って~~と宇宙は私にその状況を授けようとする。
ところが!!
願ったものの私はそれを受け取るにふさわしくない等と自分を卑下して、せっかくのギフトを受け取り拒否する。

行き場のなくなった「状況」は、たまたま私の横にいた人が受け取る。
ラッキー♪とばかりに・・・。

そして私はその「状況」を目にして、あれ?なぜ私の隣で私の願いと
同じことが実現しているのだろう?と不思議がる・・・

子供のころこんなことがあった。
叔母が私の大好きなお菓子を食べていた。
半分ほど食べたところで、私に「食べる?」と聞いてきた。
私は自分が物欲しそうな顔をしていたせいで叔母が気を使って
そう言ってくれたと深読みして、「ううん、いらない」と遠慮してしまった。
しかし叔母は単にもう食べ飽きていただけだったのだ。
私の隣にいた姉に「もうおなかいっぱいなの、食べてくれない?」とさらに聞いて、姉は素直に「いいの?ありがとう♪」と言って、私に分け与えることなく一人でペロッと食べてしまった!

この事件(?)は私のトラウマとなり、食べ物の恨みは恐ろしく、
私はいつまでも長々とこのお菓子に固執することとなった・・・
(見ると買ってしまう、さすがにもう飽きた-_-)


(つづく)

受け取り拒否していた①

2018年は自分でもビックリするくらい、何もしなかった…

ちょっと、あきれるくらいだ。

もちろん普通に生活してたし仕事もしてた。

引き寄せ的に、スピ的に、なんにもしないで眠っていたような気さえする。

 

年末くらいからさすがにヤバイと思ったのか、

ひとりさんの天国言葉を通勤の車の中でブツブツ言い出してみたものの、

ほんっとそのくらいで、あとは意識が眠っていた(◞‸◟)

 

起き出したきっかけは、人を好きになったこと(!!)

笑顔がおそろしく素敵なその人のようになりたくて・・・

(♪たかが知人Bに向けられた笑顔があれならもう恐ろしい人だ♫ by高嶺の花子さん)

少しでもその人に近づきたくて・・・

このまま、眠っていたままではダメだ!!と突然目が覚めたんだ。

(つづく)

 

 

 

自分に起きることは、全部自分の責任

最近はずっと都留晃一さんのメッセージ集と、
ガンガジとの対話を読んで内観しています。

「ガンガジとの対話」の
「あなたの目覚めに対して、ご自身で責任をお持ちなさい」
を読んで気付いたこと。

私は長いこと、「笑顔になれない」ことに苦しんでいた。
もちろん面白いことや楽しいことがあれば当然笑う。
でも、そうでないときも「笑顔は大事」「まずは笑顔から!」
「挨拶は笑顔で!」etc… 笑顔が一番!という風潮(?)に
笑顔が作れない自分に苦しんできた。

それにはトラウマともいえるきっかけがあった。
何度も何度も現れるこのやっかいなトラウマを癒そうと、
セラピストのカウンセリングを受けたりヒーリングを受けたり
様々なことをしてきたけれど、その時は納得してもまたすぐに
いつの間にか戻ってきてしまう…気が付くと戻っていることに
苛立っていた。また、これかと…。

嫌な感情が湧いてきたときに、そこから逃げずにその感情に沈み込む、
ということをやっていると、いつもこのトラウマにたどり着いてしまう。
もう何度も何度も癒しているはずなのに、またか!と思う。

なぜ、おそらく8才位の時のトラウマに戻ってきてしまうのか…
その理由がやっとわかった気がする。

私はそのトラウマの原因となった友人の母親のことを
ずっとずっと許せなかったのだ。
そしてずっとこのことを、彼女のせいにしてきた。
笑顔になれない理由を、彼女の責任と押し付けてきたんだ!

だけど、自分に起こったことはすべて自分の責任。と捉えると
あの一言すら、引き出したのは私の責任
もっと言えば、あの出来事は、私が作り出したこと・・・!

私は、笑いたくなったのかもしれない。
面白くもないのに、笑顔を作るのが苦痛だったのかもしれない。
自分の気持ちに従って無表情でいて、
それを他人に咎められると、彼女のせいにしてきたんだ。 

「嫌われる勇気」にも書いてあったことだ。

人は、理由を後付けすると…。 

30年もの間、魔物のように思ってきた彼女のことを
イメージの中で、笑顔にしてみた。
いつも、鉄仮面のように表情のなかったあっこちゃんのお母さんが
柔らかく 美しく 光の中で微笑んでくれた。
ありがとう、ごめんなさい…長い間悪役にして。

心の中の大きな氷塊が、氷解して 全身を緩めて、小さな光になって
私の体から蒸発するように 天に昇っていく感じがした
やっと、手放せたのかも、しれない

草笛光子さん

めざましテレビをなんとはなしに見ていたら、草笛光子さんが出ていた。

亡くなった母より一つ上とは思えない、若々しく颯爽とした佇まい・・・

なんて素敵な人なのだろうか。

実のところ、子供のころから彼女のことをテレビで拝見していたけれど、

妙齢の女優さんという他のたくさんの母親役を演じる方々の一人という感じだった。

 

ところが今朝見た彼女の、キラキラした瞳に私は心を射抜かれた。

なんという美しさなのか。

御年84才。5年も前によぼよぼになって亡くなった母と、何が違うのか。

朝の支度のあわただしい中、それでも私はテレビに釘付けになってしまった。

 

今年55才だという軽部アナが、「アナウンサー人生も終わりに近づいてきて、

これからどうしたらいいかわからない」というようなことを言ったとき、

草笛光子さんは一層キラキラした瞳で「これからじゃない!」と言った。

 

「今まで一生懸命頑張ってきたんだもの。今まではお勉強、これからが本番よ」

 

うわー。内面の輝きが外側に現れるってこういうことかー!!

 

人生の折り返し地点に立って、これからやってくるだろう老後に不安しかなかった。

だけど、そうか、これからが本番。今まではお勉強してただけ。

 

なーんて素敵な人なのだろう、草笛光子さん。

一気に大ファンになってしまった。

増刷を繰り返しているという彼女の写真集、買ってしまうかもしれない。

 


 

 

 

 

 

アニータ・ムアジャーニ著 「もしここが天国だったら?」

アニータ・ムアジャーニ著「もしここが天国だったら?」

この本は本当にすごい。

Manaさんの最新刊「空の扉を開く聖なる鍵」を読んだ後だったので更に理解が深まりました。

自分の生の経験と照らし合わせて書いてあるので

すごーーーく腑に落ちやすい!

出会ったのは一年前だけど、ますますアニータさんの大ファンになりました!

 


自分の中の小さな子供(エゴ)を心の底から愛すること・・・

これが「自分を愛する」ということなのですね。

 

そんなことをしたら嫌われちゃうよ!

嫌われたらひとりになっちゃうよ!

ひとりになったらさみしくて死んじゃうよ!!

だから嫌われないように、自分を殺して他人に合わせないと・・・。

私の中の小さな人(エゴ)は、ずっと私にそう言い聞かせていました。

私はそれを信じ、自分に嘘をついて自分を殺し他人に好かれるために

偽りの自分を演じてきました。

それは自分のエネルギーを相手に明け渡すということ。

自分の人生を生きていなかった。

アニータさんもまさにそうだったようです。

私もこのままだと自分の中に癌を作ってしまっていたかも・・・。


大昔の友人が「病気はギフト!」と言っていたけれど、

本当にそうなのかもしれない。

病気になる前に気付けたことに感謝。

自分を愛するということ


自分を愛するということは・・・

自分の感情を否定せず、そのまま受け入れること。

私は今まで、自分に嫌な感情が生まれたとき、即座にそれを否定したり、
もしくは見なかった、感じなかったふりをしたりしていた。

受け入れられなかった感情は、母親にまとわりつく小さな子供のように
何度も何度も抱っこをせがんだ。


どんな感情でも、それがどんなに悪い感情でも、いやな感情でも、
とても受け入れがたいと思えるような酷い感情でも、
それをじっと見て、それがあったことに気付き、眺め、受け入れると
セドナメゾットをするまでもなく昇華されていく・・・

自分を否定しないこと。どんな自分も受け入れること。
これが自分を愛するということだと、
長いこと自分を愛せなかった私が、昨日の誕生日の日に気付いたことです。

 

 

 

孤独ゲーム

私って ずっとずっとずーーーーっと

チョー孤独!!って感じていたけれど・・・

 

そもそもが愛なんだから 孤独なんて感じようがなくて

孤独ってものを その感情を味わいたくて

この状況を作り上げたんだなあ・・・って気付いたら

 

全てが 映画みたいに作り物で そこで真剣に演じ切っていて

孤独ゲームにハマってしまっていたーっ!!

・・・て気付きました・・・笑

 

自分が本当は意識そのものってことに気付くと・・・

何もかもが愛そのもの、全部、何もかもが、愛(エネルギー)でできていて、

 

本当の世界は光そのもの、愛そのもの、さみしさなんて感じる余地もなく

 

だからこそ、その状況を作り上げて、感じたかったんだ!と、理解しました。

 

ああー エネルギーXが言ってたことが、ようやく腑に落ちた・・・

(※宇宙の神秘KIYOKOさんがチャネリングしていた存在)

今は検索しても出てこないサイトだけど・・・ 感謝。