楽~になる生き方

楽~に、心地よく生きていこう

自分を大切にすると

私、どうにも、周りの人達に大切にされないなあ…と思っていた。

なぜか雑に扱われる。

なぜか馬鹿にされる。

すぐドタキャンされる。

後回しにされる。

忘れられる。

放っておかれる。

なんでかなあ…って思ってた。

 

やっと気付いた。

自分が自分を大切にしてなかったから。

人って、それがわかる能力が多分備わってるんだ。無意識に感知しちゃうんだ。

自分で自分を大切にしてないんだから、この人は雑に扱っていい…ってなるんだな〜〜多分

 

自分を大切にするということがどういうことなのか、やっとわかったところだけど、これから周りの人たちの対応がどう変化していくのかどうか、観察してみたいと思う。

 

リアリティ・トランサーフィン

思えば、毎日とても生き辛かった。
小さなことで毎日苦しんでいた。
小さなトゲトゲがたくさんある壁の部屋に閉じ込められているように、動くたびに傷ついていた。

自分には愛される価値がないと、
選択する自由などないと、
あらゆることをあきらめるしかないんだと、そうやって生きていくしかないんだと
毎日毎日苦しんでいたんだ。
そしてその苦しんでいることに気付きすらしなかった。
のんびり平和に過ごしていると勘違いしていたのだから恐ろしい(振り子だね-"-)

私は今 愛される価値があるとはっきり思えるし、
最高のものを選択し受け取るに値すると本気で思える。
これは決して自惚れとか自己過信ではなく、
所有し行動する決意が出来ているから、受け取るのは当然という確信だ。

自己受容できていなかった時の私は、自分より格上だと思われる人とは交流できなかった。
ビビってたんだね!!
偉い人とはお話しするのも同席するのも無理って思ってた。
でも今なら、たぶん社長とだって普通に会話できると思う。
人間としては対等なはずだからね。

一昨日までの私は、自分で自分のオーラを小さくしようと必死になってたけど、
今の私はきっと他人から見ても出ている波動が違うことがわかるんじゃないかって思う。

毎日書きたいことがあふれてきてどうしようもない。
特に「リアリティ・トランサーフィン」のことはまとめサイトを作りたいくらいだ。
たぶん作るんじゃないかと思う。
あんなすごい本が絶版なんて、出版業界どーなってんの?! 

自己受容=他者受容

よかった、朝起きたら元に戻ってた、なんてことはなかった(^^;)
頭頂のチャクラがパッカーンと開いたかのように気づきが降りてくるし、
なんでも受け入れるし、なんでも受け取る!という気持ち(意気込み?)は変わらない。

数年前に買った愛場千晶さんのCD
「自分の名前にありがとうを唱えると奇跡が起こる!」
当時は聞いても残念ながら奇跡は起こらなかったけど(セミナーまで行ったのに^^;)
今朝聞いたら、言葉がストーンと入ってきて、むしろ、
「そうそう、そうだよね?知ってたよ?」って感じで、突然理解した。
一体私に何が起こったのだろう? 本当に、不思議なほど、突然。。。

そして自己受容できた途端に、他人のこともスコーンと受容できてしまった。
自分はかけがいのない素晴らしい存在だけど、
私以外の人も全員、かけがいのない素晴らしい存在で、
誰一人としていらない人間などいないのだ、ということが
当然のように、当たり前のことのように 腑に落ちてきた。

自己受容=他者受容 なんだね!!

つい、一昨日までの私が、頭頂にものすごい分厚いブロックを載せて受け取り拒否していた絵が、図解したいくらいはっきりと浮かんだ。
ブロックの隙間のちいーさな空間からしかいろいろなことを受け取れなかったし、
いいもの、本当に欲しいものは受け取り拒否していたので手に入らないし、、、(-_-)
今の私は、じょうごのように大きな受け口を広げてギフトを待っている状態。

よーし、なんでもこい~~~~!!

(なんかきたら報告します)

 

 

 

愛場さんの言葉は次の通り。

「本当の自分はよろこび」

 本当の自分は喜びである。
 もっと悦んでいい、もっと楽しんでいい
 自分を傷つけることはない、
  飾らなくてありのままで大丈夫。
  許されている、愛されている、
  自分の素晴らしさに気付けたら誰でも変われる

 気付いてください
 私たちは誰もが素晴らしい存在であることを
 誰一人不要な人間などいないということを
 私たちは例外なく誰もが素晴らしい存在です。

 疑う人がいたら
 疑いをちょっと脇にどけて
 深呼吸をしてみてください
 自分の内側に意識を置いてみてください
 
 自分の内側に意識を置くと
 本来の素晴らしい自分自身に気づくことができます。
 私たちの心の奥底は誰もが喜びで生きることを望んでいます。
 決して人と争ったり苦しんだりすることを望んではいません
 私たちは誰もが喜びで生きることを望んでいます。
 私はかけがいのない素晴らしい存在です。

 それをどこかで知っています。
 今は覚えていない人がいるかもしれませんが
 心のどこかでそれを知っています。
 思い出せない人は自分で自分に許可をしましょう
 私は愛されていいんだと自分で自分に許可をします
 私は喜びで生きていい もっと楽しんで生きていいんだ
 と自分で自分に許可します

 (一部省略)

 

アファメーション

アファメーションという、スピ的には非常に重要だといわれている(?)ものがあるよね。

アレ、私、なんとも痒くなっちゃって、言えませんでした。

無理に言ってみたところで、嘘くさくて、白々しくて、なんとも言えないヤな気分になってしまい、ダメでした。

例えば、

「私は最高のものを選択し受け取る自由がある」 とか、

「私はお金を必要な時に必要なだけ稼ぐことができる」 とか、

「すべてうまくいっている」 程度の簡単なアファメーションですら、
なーんか白々しくて言えませんでした・・・。

これもね。
自己肯定感が低すぎたせいだったんだって気付きました!!!

自己肯定感が低いと、最高のものが自分にふさわしいなんて、これっぼっちも思えないからね。
言ったところで、さむーい気持ちになってしまう。

ほかにも、自己肯定感が低いと、人のアラばっかり目立ってしまってつい陰口言ってしまったり…

こんな私に話しかけられたら迷惑だろう、なんて思ってるから、人に話しかけられなくて、とにかく暗い。

自己受容できてなくて、自己肯定感が低いと、まじでいいこと一個もないんだよ!!!

私も本当に、つい昨日まで、全然自己受容できてなくて、真っ暗なオタクでした。ホント。

なんで今日突然降って湧いたように自己受容できたのか、いまだに不思議。
明日になったら元に戻ってんじゃないかと怖いくらい。

会社に何人か、外国の方がいらっしゃるんだけど、今まで、とても近付けませんでした。

でも急に話しかけてみる気になっちゃうんだから、自己受容ってすごいよね!!!

話しかけてみて、全然言葉が通じなくたって、ジェスチャーとかで何とかなるんじゃね?
とか思ったりして・・・

今までとても恥ずかしくて話しかけられなかったけど、それって、感じ悪いったらないよね!

アファメーションからかなり離れてしまったけど、とにかく自己受容ってすごいことなんだ…

伝授できるならしたいくらい。レイキみたいにね。

受け取り拒否していた⑤

そう、私はビビってたんだ。
自信がないからってあらゆる状況を受け取り拒否して、
ただ遠くから眺めているだけを選んで、だけどそれでは空しいだけで…。

望んでいながら、願っていながら、宇宙にお願いしておきながら、
結局私というヤツはビビりで、受け取って責任取るのが怖くて、逃げてた。
逃げてしまった状況は虚しく飛び散り空中浮遊した。

・・・このまま生きていくの?

このまま、あらゆるギフトを受け取り拒否して、満足な人生からかけ離れていくの?


もちろん、そんなのはいやだ!!!

この宇宙からのギフトを、すべて受け取りたい。
素敵なものばかりではないかもしれない。
嫌な、いらないものもあるかもしれない。
だけど余すことなくすべてを受け取り、流していきたい。

私は最高のものを受け取ってよかったんだ。

「次点」のものしか値しないなんてことはなかったんだ。

もう何一つとして、受け取り拒否しないと決めた。
すべて受け取る。それが人生じゃないか。
一体何を怖がっていたのだろう?

決心したら、私の人生は変わっていくと、やっと、やっと思えた。
決意が足りなかっただけなんだ。
すべてを受け取るということは、すべての責任を取るということ。
ビビっていた私は、この責任を取るということが怖くて、
長い長い長い間受け取り拒否を続けていた。

よく「近寄るなオーラ出してる」って言われてて、意味がわからなかったけど、
本当に出てたんだ!近寄るなオーラ!!
そりゃあ運も人も逃げていくよね!!


本当に生まれて初めて、決めた。
私は何もかも受け取るって。
受け取るといっても、腹にためるということではないことも、わかっている。
受け取っては消化して栄養にしたり、ただ流したり、人に与えたり、教えたり、
とにかく、一度受け取らないことには始まらなかったんだ!!!

それに今まで気づかなかったなんて、なんてこった!!!

私の人生はこれから変わっていくと、生まれて初めて、確信している!


(おわり)

受け取り拒否していた④

私の娘たちは、子馬鹿(そんな言葉ある?)なのか、私のことをほめまくってくれる。
ママは可愛い、すごい美人だ、ママの料理はものすごく美味しい、とにかく自慢のママだと。

私はそれを素直に受け取れなかった。これまた受け取り拒否していた。
そんなわけないじゃん!じゃあどうしてモテないのよー なんて言って…。
とにかく自信が全然なかった。自己卑下ばかりしていた。

昨日も帰るなり、娘は「ママ可愛い~、ホントに可愛いよね!」と言ってくれた。
ふと、そんなに可愛いなら、彼も少しは可愛いと思ってくれているのでは?と
私にしてはかなり図々しいことを考えてみた。
いつもものすごーく優しいし、ニコニコ笑顔を向けてくれて・・・
でも私は恥ずかしいのと自分に自信がないのとで、これまた受け取り拒否していたんだと思う。
優しい彼にうまく対応できなくて、いつも苦しかった。

思えば言い訳ばかり考えていた。
私には、素敵すぎる。賢すぎる。足長すぎる(笑)しイケメン過ぎる。
すべてにおいてレベルが高過ぎて私とは釣り合わな過ぎる。
だから諦めるべきだって、自分に言い聞かせていた。

だけど苦しくて苦しくて・・・引き寄せのための「いい気分」を保つことが
本当に難しくなって、もがいていた。
そうなってやっと、私は一体何を求めているの?と自問自答した。

レベルが違うとかなんとか、だから何なんだ!
ビビってんじゃねー!! 好きなものは好きなの!

・・・と降りてきた(^^;)
結局、腹くくれてなかっただけだったんだ。
受け取る勇気がなかっただけなんだ!


(つづく)

受け取り拒否していた③

この子供のころのトラウマを生かして、もらえるものはもらっておくという図々しい性格に、私は、、、、当然、なれなかった。

相変わらず遠慮して、自己卑下して、私なんかにそれはもったいないとばかりに
あらゆることを受け取り拒否して生きてきてしまったのだ。
なんておバカちゃんだったんでしょう・・・呆れちゃうわ(-"-)

自分をものすごく低く見ているから、受け取れるものはすべて二流以下。
一流のものに憧れるものの、とてもじゃないけど自分なんかには相応しくない…
とことごとく受け取り拒否してきた。(もちろん無意識に)

こんなんじゃ満足いく生活なんて送れるはずがなかった。
恋人も二流以下、家も収入も人並以下、友達もまわりから「どうしてあの人と仲いいの?」と言われちゃうような人を選んでしまうし、当然非正規社員のまま。
仕事もやりたいことをやっているわけじゃない。

昨日、たまたま好きな人とほんの少しのズレで「すれ違えなかった」という経験で、
私がいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも受け取り拒否していたんだ!!ということに、ついに、ついに気付いてしまった。
いや、だいぶ前から気付いてはいたものの、どうしていいかわからなかったんだ。

私の好きな人は超ハイスペック。当然私は及び腰。
好きで好きで仕方ない割にはいつも逃げ腰で、諦める、忘れることばかり考えていた。

しかしその人は素敵すぎて・・・魅力的過ぎて、全然忘れられなかった。
いつもいつも苦しくて、諦めるしかないって言い聞かせてもハートは騒ぐばかり。

一体どうしたいの?
もしも宇宙が私の意のままになるとして、私は何を望んでいるの?
と私は自問自答した。苦しさゆえに、聞かずにいられなかった。


(つづく)