楽~になる生き方

楽~に、心地よく生きていこう

苦手な人の幸せを祈ると…

私はずっと、愛する人達の幸せを祈ってきた。
慈悲のプラクティスを、大好きな人達に送っていた。

でも、慈悲の瞑想では、
「私の嫌いな人、私を嫌っている人が幸せになりますように」
とある。
なので、慈悲のプラクティスも嫌いな人に向かって送ってみた!

まずは苦手なお局様。
彼女の体重は私の倍は確実にあり、態度も比例している。
しかしある日、パソコン越しに彼女を感じていたら、
泣きながら食べているのが見えた(勿論、想像(^^;)実際は仕事している)

大泣きしながら食べているのだ。
その時、彼女は、ストレスから過食しているのだ、とやっと気付いた。
そういえば昔、食べるのだけが楽しみ!と言っていたことがあった。
私から食べることを取ったら、何の楽しみも無くなっちゃう…と。

何かを満たすために、空虚な心を満たすために、悲しみを癒すために、
彼女は爆食いしていた(※私のイメージの中での話です)

そこで、朝の通勤時間中に慈悲のプラクティスと虹のイメージを送ってみた。

 〇〇さんは心と体を持っています。私と同じです。
 気持ちや感情、考えもあります。私と同じです。
 悲しんだり、がっかりしたり、怒ったり、混乱したりすることがあります。
 私と同じです。
 人生で肉体的、心理的な苦しみを経験しています。私と同じです。
 人生で喜び、幸せ、愛を経験しています。私と同じです
 〇〇さんは、幸せになりたいと思っています。私と同じです。
 彼女が幸せでありますように。
 喜びと共にありますように。
 心から楽しんでいますように。
 健やかでありますように。
 穏やかでありますように。
 今日も笑顔の一日でありますように。

すると、変化はその日のうちに現れた。
彼女に、ではなく、私に、だ!
他人の幸せを祈ったあとは、たとえその人が苦手な人であろうが、
大嫌いな人であろうが、胸がほんわりと温かくなる。
人の幸せを祈るとは、なんという幸せなのだろうか。
時には、涙がにじむほどの幸せを感じることができる。

そのあたたかな幸福を感じたままで会社に行くと、
いつもは冷ややかな態度のお局様が、如来のように(笑)あたたかく微笑んで見える。
いつもは極力話しかけないのに、普通に世間話を話しかけちゃったりする。
そしたら向こうだって嫌な顔はしない。
元々話好きな人なのだから(そこが苦手なんだけど…(^^;))

その調子で、悪魔みたいな自己愛性パーソナリティ障害のYさんの幸福も祈ってみた。
自己愛性パーソナリティ障害の人を見たら逃げるしかない、とまで言われる人格障害だけど、
この病の人は、自分が一番苦しんでいるという。
どうして愛してくれないの!どうしてもっと讃えてくれないの! 
もっと!もっと!という、苦しんでいる彼女が、
どうか苦しみから解放されますように、と願う。
するとやっぱり胸がほんわりとあたたかくなる。

これからも関わることは極力避けようと思ってるけど(^^;)
愛する人々の幸せを祈るついで(^^;)に、彼女たちの幸せも日々、祈ろうと思う。