楽~になる生き方

楽~に、心地よく生きていこう

人生があと数日なら何をしますか?

今日、市のがん検診に行ってきました

 

何も引っ掛からなければ、ハガキが一ヶ月後位に届きます

何か引っかかっていれば、電話で連絡が入るそうです

 

私はちょうど一年半、健康診断を受けていませんでした

3ヶ月だけいた会社で、婦人科以外の検診は受けたので、市の検診では婦人科だけ受けることにしました

 

ふと、、、もし、ガンだったら?と

しかも、末期がんだったら? 

余命があと一年なのか、半年なのか、3ヶ月なのか、

それによっても全く違うけど、あと〇〇日くらいと、余命宣告を受けたなら、何をしますか?

 

とりあえず、仕事はしないだろうな

洋服とかも、もう要らないな

旅行用のバックを買って、旅に出るだろうな

ハワイに行こうかな

憧れのハレクラニに泊まっちゃおうか

それともなるべく安いコンドミニアムを探して、なるべく長く滞在しようか

バリ島にも行きたかったな

韓国も

 

旅に出る元気があるうちは、行きたいな

あとは何をしよう?

会いたい人は誰?

悲しいことに、誰も思い浮かばない…

1番最後に好きだった人は、完全に片想いだったし

会いに行っても迷惑がられちゃうだろうな

遠くに住んでいるお姉ちゃんには会いに行こうかな

 

食欲があるうちに食べたいものは何だろう?

これも特に思い浮かばない

美味しいものは沢山食べた

もういいかなあ…

 

なんにも思い浮かばない

私の人生

むしろ、死んだ後どうなるのかの方が楽しみかも…

 

残していく娘達のことはさすがに心配だけど

私がいなくても自由に伸び伸びと生きるだろう

ほんの少しではあるけれどお金も残せたし…

喧嘩しないで半々に分けて欲しい

 

あと余命一年と思いながら生きてみて

うっかり30年生きてしまったら預金がなくて困っちゃうよね…

やっぱりこういうことは、そうなってからじゃないと考えられないのかもなあ

 

 

 

 

 

 

母は変わった人だった

私の母は、変わった人だった。

他のお母さんとは、なんだか違ってた。

私が小さい頃は母はいつも体調が悪くて寝てばっかりいたので

私は一人遊びが得意ないつも寂しいかわいそうな子どもだった。

しかし母は、私のことを「一人遊びが好きな子」だと本気で思っていたようだ。

母には友達がいなかったので、私も、幼稚園に入るまで友達が出来なかった。

誰とも遊ばせてはもらえなかったからね。

友達はみんな「お誕生日会」と言うのを開いてもらってたけど、私はやってもらえなかったので、呼んでももらえなかった。

母はそういうことにはおそろしく疎かった。

 

家はいつも恐ろしいほど散らかっていた。

今思えば完全に、発達障害があったんじゃないかな?と思う程の散らかりようだった。

料理もとても苦手で、いつもお惣菜か、煮物か、カレーがご馳走様。

そしていつも鍋を焦がしていた。

火を使っていることを、忘れてしまうのだ。

家も料理もいつも焦げ臭かった。

よく火事にならなかったなあ…と感心するほどだ。

 

でも私のことを怒ったことは一度もなかった。

姉と兄のことはいつも怒っていたけれど、私は怒られたことがなかった。

まあ、末っ子の特権で、どんなことをしたら怒られるのか、姉兄を見て学んでいたからね(^^;;

私の娘のことも、猫っ可愛がりしてたなあ…

 

昔は発達障害なんて言葉はなかった。

知恵遅れ、とか言われている人はいたけれど、自閉症の人すら「変わり者」くらいに言われていたし。

母は成績は良かったそうだから、知恵遅れとは違うし、だけどきっと凄く生きづらかったんだろうな…と思う。

なんというか、人と接するのが下手だったのかなあ…。

嫌味っぽいというか、嫌な言い方しかしないなあ…と思ってたけど、私も似てるのかもしれないわ。

娘によく怒られるもの。

 

今日はなんとなく母のことを思い出していた。

変わった人だったよなあ…と思う。

友達の、友達みたいに仲がいいお母さんが羨ましかった。

私と母は友達みたいな関係では全くなかった。

私は娘とは友達みたいに仲良くしたいと思ってたから、実際に今はそうなっている。反面教師というやつだ。

 

まあ私は変わった人が好きだけどね。

変わってる人って、面白いからね。

(※しかし母が面白い人だったかと言うと、全く面白くはなかった…)

母は友達なんかいらなかったんだろうなあ。

母の気持ちなんて、全くわからない。

だって、変わった人だったから。

誰かに好かれようなんて行動は一切取ってるようには見えなかった。

 

幸せだったのかなあ?

孫と一緒に映る写真はとても幸せそうに笑っている。

泣いているのを見たことは殆どない。

一番近くて、遠い人。

母は、なんとも変わった人だった。

 

 

 

 

 

 

勇気を出したら、時間の調整が入った

仕事でしょーもないミスをしてしまい、誤魔化すための小細工がまた更にまずいことになって
ちょっと針の筵のような状態になってしまった。

そしてそこから逃れたくて、もう今日は会社を休んじゃおう!とふて寝を決め込んでいた。
しかし胸のモヤモヤは晴れず、逃げたところでどうなるんだろう?
ハイヤーセルフはどう思うだろう?と感じてみたら・・・

ハイヤーは全てを受け入れていた。
逃げたいなら逃げていいよ。
苦しいなら行かなくていいよ。
辞めたいなら辞めちゃえばいいよ・・・

とことん私を甘やかすハイヤー(^_^;)

逆に、どうしたらハイヤーは喜んでくれるだろう?と考えてみた。
そしたら、逃げずにこの問題に立ち向かったら、
スゴイ!カッコイイ!がんばったね!!エライ!!って、
すごく喜んでくれるだろうなぁ・・・と思った。

そして、あっ、これが、江島直子さんが言っていた
「自分で自分を誇れるような自分になる」ってことじゃん!!
と気付いた。

このまま逃げちゃっても別にいい。
だけど、逃げた自分のことは、自分がよく見ている。
問題をクリアできなくて、逃げた自分を自分は恥じていることを、
誰よりも自分が知っている。

逃げずに立ち向かい、謝罪し、軌道を修正し、クリアにしたら
逃げずにがんばった自分を、自分で誇りに思えるだろう・・・

お腹が痛くなったけど、
30分も起きるの遅くなっちゃったけど、
勇気を振り絞って起き上がった。
大急ぎで支度しないと遅刻する時間だったけど、
娘のお弁当のお手伝いまでして送り出し、
毎朝している玄関とトイレの掃除はパスかなあ・・・
でも洗濯はさすがにしないとなあ・・・と計算しながら身支度し、
気が付いたら、玄関とトイレの掃除も十分できる時間に終わっていた。

トイレの掃除は「ハーフ」:便器のみの掃除
「フル」:床、棚も全て掃除
「パス」:その名の通り、掃除しない(^^;)
で、今日はパスを選択していたのに、フルで出来た。
最後にお香も炊いて、完璧。なのにまだ時間がある!!
完全におかしい! だって30分も寝坊したのに・・・。

一昨年の夏、あまねりかさんのリトリートに参加した時、
りかさんかセントジャーメインのメッセージをチャネリングして
時間というのは一定に流れているわけではない、調整が入ることもある
というようなことを言っていたけれど、
これは勇気を振り絞って立ち向かうことを決めた私を、
喜んでくれた高次の存在が時間を調節してくれたんだと思った。
そう考えないと、おかしいくらい時間があったんだもん(^^;)

今も怖くて身が縮む思いでいるけれど、責任を取る覚悟を決めている。
しかしビビリな私はサポートして欲しい( ̄人 ̄); と切に願う。
多分、人によっては全然小さなつまらないこと。
でも、私にとっては大きな勇気を出した出来事だったんだ。

 

 

 

ハイヤーセルフと両想いになる

ハイヤーセルフ という存在は どうも、私を全肯定していて 私が何をしようと 何を考えようと

愛して 見守ってくれている存在だと感じる。

しかしこの3次元世界にいる私は、ハイヤーの姿を見ることも感じることもできないため、愛されていることに気づいてさえいなかった。

どんなに悲しい時も、どんなに辛い時も、逆にどんなに幸せな瞬間も、ハイヤーは常に私に寄り添い、愛してくれていた。

この状態って、ちょっとハイヤーセルフの片思いみたいな状態だよね?(^^;;

 


江島直子さんの今月後半の鳳凰占いを見ていたら、自分で自分を誇りに思えるような自分であれ。と言っていて…

それは、ハイヤーセルフが私を誇りに思ってくれるような私であれ、ってことなのかな?と感じた。

ハイヤーは私がどんなにこの世界では悪いと思われることをしようと考えようとただ全肯定で見守ってくれているけれど、

もし私が私の為にすごくがんばったり 努力したり 例えそれが失敗してしまっても、きっとすごく誇りに思ってくれるんじゃないかな?と思った。

努力していることを、成し遂げようとしていることを、認めて、褒めてくれるんじゃないかな?って。

ハイハイしていた赤ちゃんがつかまり立ちして、はじめての一歩を踏み出そうとしている時のように、

見守り、例え転んでも、絶対出来ると信じて応援し続けるように…。

 


だったら私も、ハイヤーセルフの為に努力し続けることは、ハイヤーの愛に応える為に頑張り続けることは、ハイヤーを愛するということに他ならないんじゃないかな。

ハイヤーセルフが私を愛してくれているように、私もハイヤーセルフを愛すること、ハイヤーセルフが喜んでくれるように生きることが、至上の幸せに繋がるんじゃないだろうか。

 


ハイヤーセルフと両想いになる、ひとつになる。

ハイヤーが誇りに思える生き方をする。

綺麗事だと思っていたようなことも、そう考えるとできる気がする!

 

 

 

「感情」を、自分の子どものように見守る

 

エイブラハムの感情のスケール22段階とかあるけど、
そのコントロール方法がよくわからなかった。
状況=感情になってしまって右往左往していた。

最近やっと、この人(感情)を喜ばせたい!楽しませてあげたい!
などと考えるようになって、、、
アレ? 考えてるのは「頭・つまり脳」なのか?
はたまた「意識」? いや、「意識」はただ見守っている。と思う。
ちょっとまだよくわからないけれど、とにかくこの人(私であり、感情?)を
幸せにしたい。と思う「わたし」がいる。

その気持ちはまるで我が子を見守る母の気持ちそのものだ。
この子の笑顔が見たい。喜ばせたい。楽しんで欲しい。
そうして親はがんばって絵本を読んだりおもちゃを与えたり
どこかに連れて行ったりするのだ。

それはつまり「感情」を我が子のように扱えばいいのでは?
と気付いた。
この子はどうやったら喜ぶんだっけ? 
何が好きで、何が嫌いで、どんなことに傷付いて、
どんなことに感動するんだっけ?

そんな風に自分の気持ちを探っていく作業。
これが自分を見つめて、自分を知る ということなのかな。

大好きな水辺を眺めているときがすごく幸せ。
自然の中で遊んでいるときが一番楽しい。
家族との談笑の時間は何にも代えがたい。
大好きな人と話が出来たらすごく嬉しくなるし
集中して仕事できたときの充実感も心地いい。
ジムで汗を流した後の爽快感も捨てがたい!

そこにフォーカスして感情の22段階を調節していけば
いいんじゃないかな~?
と今、実験中。

 

コンプレックスを刺激する

ずっと、なぜだかわからなかったこと。

子供の頃から、年上の女性に嫌われがちなこと。

どうしてなんだろう?

人に相談すると、嫉妬だよ!とよく言われたけど、嫉妬するほどの何かが私にあるとも思えず、どうしてなんだろう?ってずっと悩んでいた。

嫉妬という言葉はなんだか好きじゃない。

きっとあるんだろうけど、私の中でどうもその言葉はしっくりこない。

しかし私の娘くらいの超かわいい子が同じ部署に入ってきて、性格も超かわいいので私はすぐ仲良くなったけど、他の女性達は何故か一歩引いていて、仕事すら頼まなかった。

観察してわかったことは、かわいいから嫉妬している、なんて単純なことではなく、

ああ、コンプレックスを刺激されるから近寄りたくないんだ!と解った。

この子はすごく美意識が高くてお化粧もネイルもバッチリだし、スタイルもいい。

孫くらいの子に嫉妬は流石にしないじゃん?

普通かわいがるじゃん?

だからすごく不思議だったんだけど、、、

コンプレックスを刺激されるのが、自分の中の感情が動くのが嫌なんだ!とわかったら、すごく納得がいった。

自分は爪も肌も大して手入れしてないし、忙しいからそれでいいと思ってるけど、やっぱり綺麗にしている人と並んじゃうと、手を抜いていることに普段は納得しているのに、何か引け目を感じる。

がんばっている人をみると、がんばっていない自分はダメ人間だと感じてしまう。

それを感じたくないから、近寄りたくないんだ…。

 

私は昔からなんでもがんばる(ほう)だったし、できる限りは綺麗にもしていたいし、それは全て自分のためだったけど…

それが周りの人たちのコンプレックスを刺激しているとは考えたこともなかった。

むしろ、がんばらなければ認められないと思っていた。

だけどがんばってないって自覚している人たちにとっては、ひどくイヤな存在だったんだろうなあ…

がんばることで認められようとして、知らず知らずに他人を傷付けていたとは。

そういえば楠雄の世界(※斉木楠雄のΨ難)でも、暑すぎる男(灰呂)はウザがられていたもんなあ。。

 

子供の頃からおませで、じっとしていられない(多動気味?)からついがんばっちゃってたせいで年上女性に嫌われていたとは。

カワイイから嫉妬されてたんじゃなかったのよ!やっぱり!

そんなわけないと思ってたんだよね〜!(^_^;)

ひとは、自分の中の劣等コンプレックスを感じたくないのだ。蓋をしておきたいのだ。

そこを刺激されるのが本当に嫌なのだ。

 

逆に、私の中の劣等コンプレックスはなんだろう…?

苦手な人をみたら、そこを探ってみるといいのかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

ゲシュタルトの祈り

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。

わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、

あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。

私は私。あなたはあなた。

もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。

しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」


私のことを大嫌いなお局様は毎日仕事中居眠りをしている
それに長い間気付かないで、私は「忙しい!忙しい!」
という彼女のお手伝いをしていた

しかしコロナ禍で席を離すための席替えをして、
彼女がよく見える席になってしまい、
なんと一日2、3時間は居眠りしていることに気付いてしまった!
(気付かなければよかった・・・!)

そりゃ忙しいわけだよ・・・就業時間の半分は寝てるんだもの。
もしかしたらすごく太っているから、睡眠時無呼吸症候群
昼間無意識に寝てしまってるのかもしれない。

まあ居眠りの原因はわからないけど、どうして私にアタリが強いのだろう?
私の方が圧倒的に仕事の量をこなしてるのに・・・
寝ている間に仕事が終わるのだからむしろ有難いだろうに。
とかぼんやり考えていたら、「劣等感」と聞こえてきた。

そして、彼女の劣等感は 彼女のものだ! とも。

彼女の劣等感をまともに受けて私はずっと苦しんできたんだ。
だけど、彼女の劣等感は、彼女自身のもので、私は受け取らなければいいのだ。
謹んで、受け取り拒否すればいいのだ。

ブッタの逸話にもそういうお話があるよね。

ブッタを罵った者に、ブッタは反論も何もしなかった。
弟子が、何故怒らないのか? 何故言い返さないのか?と問うと

 「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、
    その贈り物は一体誰のものだろうか」

と応えたという。
悪口は、受け取らなければ相手の元に戻る。
マイナスのエネルギーは、受け取らなければ相手に返るしかないのだ。

彼女の強烈な劣等感をまともに受け止めてずっと苦しかったけど、
これは彼女のものなんだ。受け取らなければ彼女に返る

ふぅ~・・・
随分長いこと付き合っちゃったけど、これはお返しします。
あなたがあなたの中で消化するべきものだ。

わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。

わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、

あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。

私は私。あなたはあなた。

ゲシュタルトの祈りの意味がようやく腑に落ちた気がした。