自分に起きることは、全部自分の責任

最近はずっと都留晃一さんのメッセージ集と、
ガンガジとの対話を読んで内観しています。

「ガンガジとの対話」の
「あなたの目覚めに対して、ご自身で責任をお持ちなさい」
を読んで気付いたこと。

私は長いこと、「笑顔になれない」ことに苦しんでいた。
もちろん面白いことや楽しいことがあれば当然笑う。
でも、そうでないときも「笑顔は大事」「まずは笑顔から!」
「挨拶は笑顔で!」etc… 笑顔が一番!という風潮(?)に
笑顔が作れない自分に苦しんできた。

それにはトラウマともいえるきっかけがあった。
何度も何度も現れるこのやっかいなトラウマを癒そうと、
セラピストのカウンセリングを受けたりヒーリングを受けたり
様々なことをしてきたけれど、その時は納得してもまたすぐに
いつの間にか戻ってきてしまう…気が付くと戻っていることに
苛立っていた。また、これかと…。

嫌な感情が湧いてきたときに、そこから逃げずにその感情に沈み込む、
ということをやっていると、いつもこのトラウマにたどり着いてしまう。
もう何度も何度も癒しているはずなのに、またか!と思う。

なぜ、おそらく8才位の時のトラウマに戻ってきてしまうのか…
その理由がやっとわかった気がする。

私はそのトラウマの原因となった友人の母親のことを
ずっとずっと許せなかったのだ。
そしてずっとこのことを、彼女のせいにしてきた。
笑顔になれない理由を、彼女の責任と押し付けてきたんだ!

だけど、自分に起こったことはすべて自分の責任。と捉えると
あの一言すら、引き出したのは私の責任
もっと言えば、あの出来事は、私が作り出したこと・・・!

私は、笑いたくなったのかもしれない。
面白くもないのに、笑顔を作るのが苦痛だったのかもしれない。
自分の気持ちに従って無表情でいて、
それを他人に咎められると、彼女のせいにしてきたんだ。 

「嫌われる勇気」にも書いてあったことだ。

人は、理由を後付けすると…。 

30年もの間、魔物のように思ってきた彼女のことを
イメージの中で、笑顔にしてみた。
いつも、鉄仮面のように表情のなかったあっこちゃんのお母さんが
柔らかく 美しく 光の中で微笑んでくれた。
ありがとう、ごめんなさい…長い間悪役にして。

心の中の大きな氷塊が、氷解して 全身を緩めて、小さな光になって
私の体から蒸発するように 天に昇っていく感じがした
やっと、手放せたのかも、しれない

草笛光子さん

めざましテレビをなんとはなしに見ていたら、草笛光子さんが出ていた。

亡くなった母より一つ上とは思えない、若々しく颯爽とした佇まい・・・

なんて素敵な人なのだろうか。

実のところ、子供のころから彼女のことをテレビで拝見していたけれど、

妙齢の女優さんという他のたくさんの母親役を演じる方々の一人という感じだった。

 

ところが今朝見た彼女の、キラキラした瞳に私は心を射抜かれた。

なんという美しさなのか。

御年84才。5年も前によぼよぼになって亡くなった母と、何が違うのか。

朝の支度のあわただしい中、それでも私はテレビに釘付けになってしまった。

 

今年55才だという軽部アナが、「アナウンサー人生も終わりに近づいてきて、

これからどうしたらいいかわからない」というようなことを言ったとき、

草笛光子さんは一層キラキラした瞳で「これからじゃない!」と言った。

 

「今まで一生懸命頑張ってきたんだもの。今まではお勉強、これからが本番よ」

 

うわー。内面の輝きが外側に現れるってこういうことかー!!

 

人生の折り返し地点に立って、これからやってくるだろう老後に不安しかなかった。

だけど、そうか、これからが本番。今まではお勉強してただけ。

 

なーんて素敵な人なのだろう、草笛光子さん。

一気に大ファンになってしまった。

増刷を繰り返しているという彼女の写真集、買ってしまうかもしれない。

 


 

 

 

 

 

アニータ・ムアジャーニ著 「もしここが天国だったら?」

アニータ・ムアジャーニ著「もしここが天国だったら?」

この本は本当にすごい。

Manaさんの最新刊「空の扉を開く聖なる鍵」を読んだ後だったので更に理解が深まりました。

自分の生の経験と照らし合わせて書いてあるので

すごーーーく腑に落ちやすい!

出会ったのは一年前だけど、ますますアニータさんの大ファンになりました!

 


自分の中の小さな子供(エゴ)を心の底から愛すること・・・

これが「自分を愛する」ということなのですね。

 

そんなことをしたら嫌われちゃうよ!

嫌われたらひとりになっちゃうよ!

ひとりになったらさみしくて死んじゃうよ!!

だから嫌われないように、自分を殺して他人に合わせないと・・・。

私の中の小さな人(エゴ)は、ずっと私にそう言い聞かせていました。

私はそれを信じ、自分に嘘をついて自分を殺し他人に好かれるために

偽りの自分を演じてきました。

それは自分のエネルギーを相手に明け渡すということ。

自分の人生を生きていなかった。

アニータさんもまさにそうだったようです。

私もこのままだと自分の中に癌を作ってしまっていたかも・・・。


大昔の友人が「病気はギフト!」と言っていたけれど、

本当にそうなのかもしれない。

病気になる前に気付けたことに感謝。

自分を愛するということ


自分を愛するということは・・・

自分の感情を否定せず、そのまま受け入れること。

私は今まで、自分に嫌な感情が生まれたとき、即座にそれを否定したり、
もしくは見なかった、感じなかったふりをしたりしていた。

受け入れられなかった感情は、母親にまとわりつく小さな子供のように
何度も何度も抱っこをせがんだ。


どんな感情でも、それがどんなに悪い感情でも、いやな感情でも、
とても受け入れがたいと思えるような酷い感情でも、
それをじっと見て、それがあったことに気付き、眺め、受け入れると
セドナメゾットをするまでもなく昇華されていく・・・

自分を否定しないこと。どんな自分も受け入れること。
これが自分を愛するということだと、
長いこと自分を愛せなかった私が、昨日の誕生日の日に気付いたことです。

 

 

 

孤独ゲーム

私って ずっとずっとずーーーーっと

チョー孤独!!って感じていたけれど・・・

 

そもそもが愛なんだから 孤独なんて感じようがなくて

孤独ってものを その感情を味わいたくて

この状況を作り上げたんだなあ・・・って気付いたら

 

全てが 映画みたいに作り物で そこで真剣に演じ切っていて

孤独ゲームにハマってしまっていたーっ!!

・・・て気付きました・・・笑

 

自分が本当は意識そのものってことに気付くと・・・

何もかもが愛そのもの、全部、何もかもが、愛(エネルギー)でできていて、

 

本当の世界は光そのもの、愛そのもの、さみしさなんて感じる余地もなく

 

だからこそ、その状況を作り上げて、感じたかったんだ!と、理解しました。

 

ああー エネルギーXが言ってたことが、ようやく腑に落ちた・・・

(※宇宙の神秘KIYOKOさんがチャネリングしていた存在)

今は検索しても出てこないサイトだけど・・・ 感謝。

 

 

 

 

「被害者意識から抜け出す」

 

「空」の著者・Manaさんのブログを読んで、
自分がいかに被害者意識にまみれて生きていたか
よーくわかってメチャクチャたたきのめされた(-_-)
いや、たたきのめされてみた(^_^;)

「いじめられた」じゃなくて、「いじめられてみた」
「ひどいことをされた」じゃなくて、「ひどいことをされてみた」
「殺された」じゃなくて、「殺されてみた」(笑)

そういう風に考えると、実権は他人ではなくて自分にある。
「やられた」と思っていると、他人に力を与えてしまう。

ところが「やられてみた」と考えると、自分に力が戻ってくる。
「殺されてみた」なんて、笑いすら浮かんでしまう(笑)

ちょっと、殺されるという経験をしてみたかった、ということなのだ。

もちろん感情は、迫真のお芝居をしているんだからそんな風に思うはずないけど、
魂的には「そういう経験をしてみたかった」ということになるのだろう。
こういう経験をすると、どんな感情がわいてくるのか、が知りたかったのだろう。

もう金輪際、被害者意識で生きることを止めると宣言する。
「やられた」と思った途端にこのことに気付くようにする。
私は被害者ではない。 犠牲者でもない。

とはいっても、きっと何度もこの気持ちはわいてきてしまうのだろう。
そのたびに、気付く。はっ、私は今被害者意識になってる!と気付く。

気付くことさえできたら、こっちのもんだ!(?)

既に「喜び」だった

喜びで生きようと決めた途端に、、、
無理矢理喜びの感情を作り出そうとしたり、思い浮かべたり、
そう「なろう」と努力したりすることが滑稽だと気付いた。

何故なら…
深淵の「私」を感じたら、それは喜びそのものだったから!
喜びで「生きる」必要もなく、喜びに「なる」必要もなく、
既に、喜びそのものであったから!

ただ、「在る」だけで、愛そのものであり、
ただ、「在る」だけで、喜びであり、、、

植物がそのような状態であることはなんとなく知っていた。
「そこに在る」だけで植物は喜びなんだと。

でも、人間の深淵にも全く同じ、「そこに在る」だけで
パーフェクトな喜びがあることを知った。

それは2011年に読んだmanaさんの著書「空」に書いてあることと
最近知ったガンガジの言っていることが全く同じだったから、
突然腑に落ちてきたこと。
ガンガジの言うように、何度も自分の内側の静けさを感じていたら
瞑想するまでもなく、腑に落ちてきた。

ただ在るだけで、完璧なんだと・・・

 

でも現実というか、頭の中の自分だと思い込んでいたエゴの声は
何度も何度も言う。私なんか必要じゃないと。
私なんかいらないんじゃない?
この会社に必要じゃないんじゃない?
家族にも必要とされていないんじゃない?
恋人にも本当はいらないと思われてるんじゃない?

この世界に必要ないんじゃない?

鳴り止まなくて困る。
この声は一体何なの?エゴの最後の叫び?
そういう時は深淵の「真の私」を感じようとしても難しくなる。
ただただ苦しみが続いてしまう。


思考や感情は移り行くもの。現れては消えるもの。
それらを「自分」だと思い込んで生きている。
だけど、変わらないものがある。消えないものがある。
それは「気付いている自分」「意識」
思考や感情は脇に置いておいて、そこにシフトする。
そこには、何も変わらない、深淵の真の私がいる・・・