ラピスラズリ

15年前くらいになるだろうか。
スーパーの特設会場みたいなところで見つけた、
ラピスラズリのブレスレット。
それは見事に地球みたいで、私はその時、
宇宙から見た地球をフラッシュバックのように思い出した。

「なんて綺麗なんだろう!行ってみたい!」
私は地球の美しさに惹かれてそこに転生することを決めたんだ。
私の誕生は簡単なものではなかった。
母の子宮を破裂させて生まれてきた。
一体何に阻まれていたのか、お不動様と鬼子母神様の力を借りて
何とか命を取り留めたと霊能者だった祖父に聞かされた。

まあそれも地球ゲームの一つのシナリオだったのかも…
私の知るところではないけれど。
幼いころから漠然と、全ては繋がっているという感覚と
この世だけではない世界があることを感じていた。

でもそれでは生き辛かった。
思春期のある日、私はそういう他の世界を感じる能力を
自ら閉じる決意をした。もう見ない、見たくない!!と。

それは次女を出産するその日まで続いた。
帝王切開で次女を産むとき、どうしても局所麻酔が効かず
全身麻酔に変更になり、途端に私は宇宙空間に放り出された!

ものすごい勢いで薄いピンク色の光のトンネルの中を、
それは例えていうならウォータースライダーのようだった。
その100万倍くらいのスピードで通り抜けた。
そこはすべてが一つだった。鉄の塊も、地面も、プラスチックも、木々も、
私とはとても同質とは思えないモノたちもが、全ては一つに溶け合っていた。
麻酔がさめて目が覚めても、しばらくはその感覚が抜けなかった。
現実はどちらなのか? しばらくわからなくなっていた。

口がきけるようになったとき、周りの人たちにその時の体験を
堰が切れたように話したけれど、みんな「夢だよ」と取り合ってくれなかった。
しかし私はその強烈な体験が忘れられなかった。

それでも二人の子育てに追われて忘れかけていたころ、
次女の下痢が全く止まらず、病院に行っても治らず、
心配でネットを検索しまくっていた私は、突然導かれるように
辿り着いたメンターからレイキのアチューンメントを受けた。
そこから私の精神世界の扉が、やっと開き始めた。

 

 

自分は自分、バカはバカ?


ひろゆきさんの、「自分は自分、バカはバカ

を、読んだと言いたいところだけど、本解説動画を見て、
会社のエリちゃんという女の子のことを思い出した。

彼女は20代前半なのに、ものすごく落ち着いているというか、
明らかに人を見下してるというか(^^;)何があっても動じない。
自分の母親くらいの年齢の女性に嫌味を言われても微笑んで流す。
心の中で「バカかw」と笑っているのがわかる。
あー、彼女も、ひろゆきさんの鋼のメンタルの持ち主なんだ!
と理解した。
あらゆることを、高い目線から見て「アリが騒いどるわ」位に
捉えてるんだなあきっと。 ちょっとムカつくが(^_^;)
決して同じ土俵にあがらない、ということなんだろう。

そのことをボーッと例のごとく朝の通勤の車の中で考えていた。
朝の車の中は、いつも色々なことが降りてくる。
すごく、「ボーッと」としているのがいいのかもしれない。

突然、大きなお釈迦様が、手のひらの上で騒いでいる人間を
眺めている映像が浮かんだ。
子どものころ堺正章がやっていた「孫悟空」みたいに。
どこまで全力で飛んで行っても、お釈迦様の掌の中だった、
という孫悟空の最初の回。

私はもう何年も同じ部署のお局様のことで悩んでいた。
とにかくコワイ。どうして私にだけ、アタリがキツイのだろうと
ずっと悩んでいたけれど、どうも、マウント取ってるんだな?
と最近ようやく気付いた(遅・・・-_-;)

今朝目覚めてすぐに見たでも言っていて、やっと腑に落ちた。
「例えばお局さんが若いOLをこき下ろすのは、
 彼女が自分の優位性を脅かす存在であり、
 自分の方が上だと思いたいからです。
 若いOLが職場でのさばったら、自分の存在価値が危ういですからね」

私は決して若くはないが(なんせ堺正章孫悟空をリアルタイムで見ている!!)、
お局様よりは8才若く、多分体重は半分以下だし、
さあハッキリ言い切ってしまいましょう、
彼女より綺麗で頭もよくて仕事もできる!(笑)←これがまさにジャッジメント
だけどそれを認めたら、自分の存在価値が無くなっちゃうから、
だから必死になって私をこき下ろしてたんだねーー!!

せめてまわりに、私が仕事ができない役立たずで、
自分が全面フォローしてやってるんだよ!!と主張すれば、
自分の存在意義が守れるものね!
なんであんなすごい態度なのか、ようやく理解したよ!!

・・・ああ・・・彼女も苦しんでいたんだ。
と、やっとわかった。
大魔神のように恐ろしい存在だと思っていたけれど、
体重100キロ位あるから、ますます大きくて怖かったけど、
自分が大仏になって彼女を手のひらに乗せてみたら、
怒っている彼女が本当は苦しんで泣いているのがわかった。

自分が大きな目線になって、、、決して上から目線じゃなく
大仏くらいの大きさになって、怒っている人、困らせる人、厄介な人を
手のひらに乗せて眺めてみる。

すると、その人の中の苦しみや痛みや悲しみが見えてきて、
怒りはガードだったんだ!と気付く。
怒っている人は、シールドを身につけているだけ。
その中身は、痛みや苦しみ、悲しみ、恐怖、傷付きたくないという想い。
シールドの奥のその人を見れば、もはや、愛おしくて抱き締めたくなる。

それは高い目線から見た自分自身の姿と同じだった。
必死なんだ。生きるのに、いつだって一生懸命で、必死だったんだ。
その姿を手のひらに乗せて眺めていたら、それはもう愛おしいに決まっている。
がんばってたんだね。必死だったんだね。
この人間ゲームに没頭して、翼があるのをすっかり忘れて、
必死になって生きてきたんだね・・・

ひろゆきさんやエリちゃんのように、人を見下して生きようかと思ったら
逆に愛に包まれてしまったという、ミイラ取りがミイラになった?!ような
不思議な感覚に包まれた朝でした。

 

 

 

許すということ

コントロールしようとしなくていい
コントロールしようとしてジタバタもがかない
意図して 手放す


どんな自分も愛おしいと思う
その時にできる精一杯のことを一所懸命にしていたのだから
とか言ってたけど、それは他人にも当てはまることだと気付いた

私に対して酷いことをしたり、言ったと思える他人も
その時にできる精一杯のことをしていたのだ、ただそれだけだったんだ。

そしてその時の波動が、私同様、とても低かったのかもしれない。
私が低かったから、そういう態度や発言をさせてしまっていたのかも…。

そう考えると、過去に私に酷いことをした!許せない!と思っていた人も、
その時出来る精一杯のことを本気で演じていただけだったんだ…
と理解でき、自分と同じように愛おしい存在だったと気付く。

みんなみんな、一生懸命なのだ。
この地球という不自由な場所で、精一杯生きているのだ。
本当は羽が生えているのにそのことを忘れて、、
足に枷をして不自由を自ら選んで本気で演じているのだ。
錘を付けて水の中に飛び込み、もがいているのだ。

今、時代は確実に動いている。
背中の羽に気付き、足枷を脱いで飛び立つときが来ているのだ。
だから自分の中にある重たいものにまず気付き、どんどん許し、
手放していかないと、とても飛び立てない。

忘れていた過去の産物がどんどん浮き上がってくる。
浮き上がってきた時、またそのドラマにどっぷり浸かりそうになるけれど、
そのことに気付き、じっと見つめて、その存在を認めて、手放す。
今、このワークを一日中、自分の感情を見張りながら続けている。
・・・すぐ忘れちゃうんだけどね(^_^;)
だからあちこちに付箋紙に「起きてますか?眠らないで!」って
書いて貼ってある。すごい居眠りする人みたいになっている(笑)

 

 

誹謗・中傷について思う

SNSでの誹謗中傷についてネットでもテレビでも
今更ながらに大騒ぎしているけれど、誹謗中傷は
今までだっていくらだってあった。

ネットが普及してすぐのころ、私は母乳育児についてのHPを
立ち上げていた。それなりに閲覧数もあり、コメントには、
ビックリするような嫌なことが書き込まれることも時々あった。
匿名だと、何を書いてもいいと思っている人がたくさんいることは
どうしようもない事実だけど、現実世界でも、いやなことを
言ってくる人はたくさんいる。

私は去年突然「人目を気にする」ことを止めた。
それまでずっと人目を気にして生きてきた。
それでも結構自由に生きてきたつもりだったけど、
直接文句や嫌味を言われるとそれなりに凹んで、
それは自粛するようなことをしてきた。
HPも2回くらい閉じた。
だけどある時、突然気が付いたんだ。
文句や嫌味を言ってくる人って、私に何かしてくれるのか?
ってこと! たいがい、何にも、してくれないんだよね!

誹謗中傷する人って、その人の言うとおりにしたところで、
満足して止めてくれる、ということは絶対にないんだよね。
だって、そんなことを言う原因は、私ではなく、
その人自身の中にあるんだもの。

私のために言ってくれてるわけではないんだもの。
目障りだから消えろとか言うけど、目障りなら、見なきゃいいこと。
どうして私の方が消えないといけなかったんだ??
と今なら思うけど、言われたその時は傷付いて、
本当にその場から姿を消したりしたこともある。

職場でイジメに遭った時も、大人しくしたり、辞めようとまでしたけど、
彼女たちの言う通りにしたところで、お礼を言われるわけでもない。
誹謗中傷する人たちの言うとおりにしたところで、感謝なんてされないのだ。
言うとおりにしたから仲良くしてくれるわけでもない。
そしたら一体何のために、そんな人たちの言うなりにならなければならないのか??

そのことにやっと気付いたので、私は人目を気にするのを止めた。
一切やめた、とまでは流石に言い切れないけど、相当やめた。
だって何にもならないんだもの。
何の得にもならないんだもの。
あんな人たちの言いなりになって、自分の人生を明け渡していたなんて、
バカみたいだった! ってやっと気付いたんだ。

復讐のために自分を犠牲にする必要なんてない。
そんなことしても、彼等は絶対に反省したり落ち込んだりなんかしない。
自分の中にあるその何かを癒さない限り、一生繰り返すんだから。

人目を気にして何になる?
私は私の人生を生きる!と決めた!
だから他人の批判なんかに耳を貸さない。
私のためを思って言ってくれてるのと、そうじゃないのの区別ってすぐつくよ。
誰かの満足のために、私の人生を明け渡したりなんかしない。

強くならなければならない。
自分という、一本筋が通っていればいい。
時々ズレたりグラついたりするけれど、
気が付いたら自分軸に戻ればいい。

いつだって、世界は自分が中心なんだから!

 

 

 

conductor(コンダクター)

昨夜入念(?)にレイキ瞑想しながら、守護霊様、指導霊様、先祖の霊様、
ハイヤーセルフさま、それから理想のパラレルワールドの自分(※)に
本気でお願いしてみた。
(※最近バシャールが発信していること)
私はこれから何をしたらいいのか、何がしたいのか、使命があるなら
教えてください!と。
その時は何も返ってこなかったけど、朝になって、五月の眩しい
日差しを浴びながら運転していると、突然
「地球ってなんて綺麗なの!!地球って最高!!地球に生まれてこれて本当によかった!
私は地球を体験したくて切望して生まれてきた!私は地球コンダクターになる!!」
と叫んでいた。

ち、地球コンダクターって何・・・??
自分で言っておいて、謎に包まれ、そのまま会社で「コンダクター」の意味を調べてみた。
指揮者。・・・違うな。
ツアーコンダクター。・・・あっ、なるほど??
導く。・・・これだ~!!

地球に生まれてきた人を、導く。地球の楽しみ方を伝える。
地球はこんなにも美しく、面白く、楽しく、ドラマにあふれている。
辛いことも悲しいことも体験できる、ものすごいアトラクションに満ちている。
すっごい世界なんだ!! こんな最高のゲームセンター、地球!
何もかもがゲームだった! あんな楽しいことも、こんな辛いことも、
死ぬかと思うほど苦しかったことも、涙が枯れ果てるほどの悲しみも・・・。

美しい若葉と、真っ青な空、信じられないほど澄んだ空気を吸いながら
今までスピリチュアルな知識としては知っていたけれど、
こんなにもこのことを実感したことはなかった。
最近ずっと自分を俯瞰できていることが、ハイヤーセルフの目線と
同調できていたのかもしれない。
自分を俯瞰してみると、もう、かわいくてしょうがないんだ(^_^;)
苦しんでいる姿も、喜んでいる姿も、ちょっとズルいことを考えている姿も、
全部全部、かわいくて仕方なくなる。これが神の目線なのかと思うんだ。

神様はきっと、人間をこんな風に見てるんだ。
体験していることを、じっと見守ってくれているんだ。
手助けするのは簡単だけど、やってみなさいって。
小さな子供が一生懸命歩こうとし、転び、泣き、でもまた立ち上がる。
それを親はハラハラしながらも手を貸さず、見守る。
一人で歩けるようになった時の喜びを分かち合いたいから…。

地球にはなんでも揃っている。どんなことも体験できる。
そしてそれを選べるんだ。

この美しく、素晴らしく、なんでも体験できる地球を楽しもう!
魂は、懇願して切望してこの素晴らしいテーマパークに来たんだ。
そしてその新しい幕開けはすぐそこまで来ている!
バシャールが言うには、あと4ヶ月だそうだ!
新しい世界に軽々とシフトしよう!
地球がバージョンアップするんだと思うんだよ。
すっごく、楽しみだね!!

メチャクチャ、ワクワクする!

自分を客観的に眺める

ふと・・・
あの人の生活を眺めてみたくなった

今、家から出ることができないでいるあの人が
家の中で何をして何を思っているのか、
どんなことを悲しみどんなことに苦しみ
どんなことで喜びどんなことで笑うのか

籠の中のハムスターを眺めるように
ずっと見ていられたらなあ と思った

そんなことを考えてたら、それが創造主の目線なのかなあ
と思った。
創造主なのか、ハイヤーセルフなのか、
ガンガジのいう「意識」かもしれない。
自分のことを、ケージに入ったハムスターのように
冷静に眺めることが出来たら、以前カウンセラーによく言われた
「自分を客観的に眺める」ということになるのかもしれない。
(当時は難しくて全然できなかった)

上からの目線は、愛おしいものを見る。
かわいい、どんなことをしてもかわいいと思う。
助けてあげたいと思い、自由にもさせてあげたいと思い、
でもずっと手の中で眺めていたいとも思う・・・。
そんな風に自分のことを上からの目線で見れたら、
自分がものすごく愛しく思え、自分を愛することができそうだ。

それが自分を愛するということなのかなあ・・・。

よくわかんないけど、この自粛期間をそんな思いで
自分を観察しながら過ごしてみたいと思う。

 

 

誕生日を祝うということ

誕生日を祝われて嫌な人っているだろうか?

私はいつもそこを迷う。

バカみたいかもしれないけど、祝われることが嫌だったらどうしようかと思う。

 

私は言葉だけでもいいからおめでとうって言ってもらいたい派だ。

基本ツンデレなので(^_^;) 言われても嬉しそうな態度は取らないとは思うんだけど、もし言ってもらえたら嬉しい。

しかしなかなか言ってもらえない。

特に今年は、日曜日だったので家族以外の誰からも言ってもらえなかった。

メールでもいいから言ってもらえたら嬉しいと思うんだけど、メールすらなかった。

 

日曜日でしかも超自粛ムードが続く今日、それ程親しくはないけれど、去年から何回か飲んだり遊んだりした人の誕生日だった。

朝から、お祝いメールを送るかどうか悩んだ。

特に親しくもない私からそんなメールが来たらキモッ、とか思われないだろうか?と(^_^;)

でも飲んだ時、誕生日はいつなの?と聞いて教えてもらったのに、無視か?と思うと、それも悲しくて、特に今はお祝いパーティも出来ないご時世なので、寂しく1人のお誕生日を過ごしているんだろうな…と思うと、やっぱりどうしても、ちゃんと覚えてるよ!と伝えたくて、メールを送ってしまった。

負担がないように、返信不要ですと書いて。

私なら超嬉しいけれど、嬉しくない人もいるのかなあ。

特に年配の男性には喜ばれた経験が全くない。

それこそツンデレならいいんだけど…💧

 

生まれてきてくれてありがとうって伝えたいんだ。

ただそれだけなんだけど…なぜいつも迷うのだろう。

同じ地球の、同じ場所に、偶然にも同じ時を過ごし、生まれてきた日をお祝いできる奇跡を、享受したい。

そしてそれを許してほしい。

それだけなんだけどな…