草笛光子さん

めざましテレビをなんとはなしに見ていたら、草笛光子さんが出ていた。

亡くなった母より一つ上とは思えない、若々しく颯爽とした佇まい・・・

なんて素敵な人なのだろうか。

実のところ、子供のころから彼女のことをテレビで拝見していたけれど、

妙齢の女優さんという他のたくさんの母親役を演じる方々の一人という感じだった。

 

ところが今朝見た彼女の、キラキラした瞳に私は心を射抜かれた。

なんという美しさなのか。

御年84才。5年も前によぼよぼになって亡くなった母と、何が違うのか。

朝の支度のあわただしい中、それでも私はテレビに釘付けになってしまった。

 

今年55才だという軽部アナが、「アナウンサー人生も終わりに近づいてきて、

これからどうしたらいいかわからない」というようなことを言ったとき、

草笛光子さんは一層キラキラした瞳で「これからじゃない!」と言った。

 

「今まで一生懸命頑張ってきたんだもの。今まではお勉強、これからが本番よ」

 

うわー。内面の輝きが外側に現れるってこういうことかー!!

 

人生の折り返し地点に立って、これからやってくるだろう老後に不安しかなかった。

だけど、そうか、これからが本番。今まではお勉強してただけ。

 

なーんて素敵な人なのだろう、草笛光子さん。

一気に大ファンになってしまった。

増刷を繰り返しているという彼女の写真集、買ってしまうかもしれない。

 


 

 

 

 

 

アニータ・ムアジャーニ著 「もしここが天国だったら?」

アニータ・ムアジャーニ著「もしここが天国だったら?」

この本は本当にすごい。

Manaさんの最新刊「空の扉を開く聖なる鍵」を読んだ後だったので更に理解が深まりました。

自分の生の経験と照らし合わせて書いてあるので

すごーーーく腑に落ちやすい!

出会ったのは一年前だけど、ますますアニータさんの大ファンになりました!

 


自分の中の小さな子供(エゴ)を心の底から愛すること・・・

これが「自分を愛する」ということなのですね。

 

そんなことをしたら嫌われちゃうよ!

嫌われたらひとりになっちゃうよ!

ひとりになったらさみしくて死んじゃうよ!!

だから嫌われないように、自分を殺して他人に合わせないと・・・。

私の中の小さな人(エゴ)は、ずっと私にそう言い聞かせていました。

私はそれを信じ、自分に嘘をついて自分を殺し他人に好かれるために

偽りの自分を演じてきました。

それは自分のエネルギーを相手に明け渡すということ。

自分の人生を生きていなかった。

アニータさんもまさにそうだったようです。

私もこのままだと自分の中に癌を作ってしまっていたかも・・・。


大昔の友人が「病気はギフト!」と言っていたけれど、

本当にそうなのかもしれない。

病気になる前に気付けたことに感謝。

自分を愛するということ


自分を愛するということは・・・

自分の感情を否定せず、そのまま受け入れること。

私は今まで、自分に嫌な感情が生まれたとき、即座にそれを否定したり、
もしくは見なかった、感じなかったふりをしたりしていた。

受け入れられなかった感情は、母親にまとわりつく小さな子供のように
何度も何度も抱っこをせがんだ。


どんな感情でも、それがどんなに悪い感情でも、いやな感情でも、
とても受け入れがたいと思えるような酷い感情でも、
それをじっと見て、それがあったことに気付き、眺め、受け入れると
セドナメゾットをするまでもなく昇華されていく・・・

自分を否定しないこと。どんな自分も受け入れること。
これが自分を愛するということだと、
長いこと自分を愛せなかった私が、昨日の誕生日の日に気付いたことです。

 

 

 

孤独ゲーム

私って ずっとずっとずーーーーっと

チョー孤独!!って感じていたけれど・・・

 

そもそもが愛なんだから 孤独なんて感じようがなくて

孤独ってものを その感情を味わいたくて

この状況を作り上げたんだなあ・・・って気付いたら

 

全てが 映画みたいに作り物で そこで真剣に演じ切っていて

孤独ゲームにハマってしまっていたーっ!!

・・・て気付きました・・・笑

 

自分が本当は意識そのものってことに気付くと・・・

何もかもが愛そのもの、全部、何もかもが、愛(エネルギー)でできていて、

 

本当の世界は光そのもの、愛そのもの、さみしさなんて感じる余地もなく

 

だからこそ、その状況を作り上げて、感じたかったんだ!と、理解しました。

 

ああー エネルギーXが言ってたことが、ようやく腑に落ちた・・・

(※宇宙の神秘KIYOKOさんがチャネリングしていた存在)

今は検索しても出てこないサイトだけど・・・ 感謝。

 

 

 

 

「被害者意識から抜け出す」

 

「空」の著者・Manaさんのブログを読んで、
自分がいかに被害者意識にまみれて生きていたか
よーくわかってメチャクチャたたきのめされた(-_-)
いや、たたきのめされてみた(^_^;)

「いじめられた」じゃなくて、「いじめられてみた」
「ひどいことをされた」じゃなくて、「ひどいことをされてみた」
「殺された」じゃなくて、「殺されてみた」(笑)

そういう風に考えると、実権は他人ではなくて自分にある。
「やられた」と思っていると、他人に力を与えてしまう。

ところが「やられてみた」と考えると、自分に力が戻ってくる。
「殺されてみた」なんて、笑いすら浮かんでしまう(笑)

ちょっと、殺されるという経験をしてみたかった、ということなのだ。

もちろん感情は、迫真のお芝居をしているんだからそんな風に思うはずないけど、
魂的には「そういう経験をしてみたかった」ということになるのだろう。
こういう経験をすると、どんな感情がわいてくるのか、が知りたかったのだろう。

もう金輪際、被害者意識で生きることを止めると宣言する。
「やられた」と思った途端にこのことに気付くようにする。
私は被害者ではない。 犠牲者でもない。

とはいっても、きっと何度もこの気持ちはわいてきてしまうのだろう。
そのたびに、気付く。はっ、私は今被害者意識になってる!と気付く。

気付くことさえできたら、こっちのもんだ!(?)

既に「喜び」だった

喜びで生きようと決めた途端に、、、
無理矢理喜びの感情を作り出そうとしたり、思い浮かべたり、
そう「なろう」と努力したりすることが滑稽だと気付いた。

何故なら…
深淵の「私」を感じたら、それは喜びそのものだったから!
喜びで「生きる」必要もなく、喜びに「なる」必要もなく、
既に、喜びそのものであったから!

ただ、「在る」だけで、愛そのものであり、
ただ、「在る」だけで、喜びであり、、、

植物がそのような状態であることはなんとなく知っていた。
「そこに在る」だけで植物は喜びなんだと。

でも、人間の深淵にも全く同じ、「そこに在る」だけで
パーフェクトな喜びがあることを知った。

それは2011年に読んだmanaさんの著書「空」に書いてあることと
最近知ったガンガジの言っていることが全く同じだったから、
突然腑に落ちてきたこと。
ガンガジの言うように、何度も自分の内側の静けさを感じていたら
瞑想するまでもなく、腑に落ちてきた。

ただ在るだけで、完璧なんだと・・・

 

でも現実というか、頭の中の自分だと思い込んでいたエゴの声は
何度も何度も言う。私なんか必要じゃないと。
私なんかいらないんじゃない?
この会社に必要じゃないんじゃない?
家族にも必要とされていないんじゃない?
恋人にも本当はいらないと思われてるんじゃない?

この世界に必要ないんじゃない?

鳴り止まなくて困る。
この声は一体何なの?エゴの最後の叫び?
そういう時は深淵の「真の私」を感じようとしても難しくなる。
ただただ苦しみが続いてしまう。


思考や感情は移り行くもの。現れては消えるもの。
それらを「自分」だと思い込んで生きている。
だけど、変わらないものがある。消えないものがある。
それは「気付いている自分」「意識」
思考や感情は脇に置いておいて、そこにシフトする。
そこには、何も変わらない、深淵の真の私がいる・・・

 

 

 

 

「ゆるす」と言うこと

「ゆるすということ」という本まで出てるし、大昔に読んだけど、
これまたぜーんぜんわかってなかった。
全然許せないし、むしろ許そうとも思ってなかったし、
その必要すらないと思っていた(!!)。

でも大好きなサイト「勉強すれば人生変わる」の最新記事に

 「もし、私が相手と同じ意識レベル(心理的な痛み、経験含めて)ならば、
 私も相手と同じように考えて行動しているに違いない」と実感する。
 それが「赦し」である。

と、ニューアースからの引用文がサラッと書いてあって、、、

それがビビッときた!!

なぜなら、直前にこの本を読んでいて、まさにそのことが書かれていたから。

 

喜びから人生を生きる!

 

「喜びで生きる」と決めて、ふと、「喜びで生きる」と検索したら
出てきた本。

ザックリ言うと臨死体験したインド人の女性のお話し。
レビューもよかったし、すぐ購入して読んでみた。

前半は彼女の半生のお話しで、途中まで読んだけど飽きて(コラー^^;)
思いっきり飛ばしてみた。きっと後で読むでしょう(?)。

中盤、彼女が癌になってから~臨死体験して生還のあたりから読み出して、
実はまだ途中なんだけど(別に感想文じゃないからいいよねー)。

臨死体験後の彼女の価値観(?上手い言葉が思い浮かばない(^_^;))は激変する。

「私たち」と「あの人たち」という分け隔ての感覚は無くなり、
全てが「私たち」という感覚になる。
それがたとえテロリストでも。
という例えの中に、上記のニューアースの一節が垣間見えた。

彼らと産まれたときから全く同じ環境で生きてきたら、
きっと私も全く同じことをしただろう。と。

これが「赦し」・・・!

なんだか小難しく考えていたけれど、そういうことなのかと
やっと腑に落ちた感じがした。
よく、相手の身になって考えろとかいうけど、
マジで大切なことだったんだね。。。!

全身麻酔下でワンネスを体験したことがあるけど、
感覚だけしか覚えていない。
とにかく、自分と○○、という隔てが一切なくなって、
目の前の冷たくて全く異質に見える鉄の塊までもが私だった。
あの先に臨死体験があったのかもなあ・・・??

あの時の私には、体の感覚としての一体感しか感じられなかった(覚えてない)けど、

精神的な一体感も感じられていたら、彼女のような悟りが訪れていたのかも?