楽~になる生き方

楽~に、心地よく生きていこう

内なる私(インナーチャイルド)

昨夜、お風呂を洗っていたらふいに
「どうせみんな私を置いていく」と
内なる子どもの声がした。
(あっ、これがインナーチャイルドというヤツか!
 書いていて今気付いた(^^;))

えっ?そんなこと思ってたの?と少し驚いて、
その声に耳を傾け続けた。

みんな私を置いていく!
いつか私はひとりぼっちになってしまう!
さみしい! さみしいよー!
ひとりぼっちになったら寂しくて死んでしまう。
そうなる前に、何とかしないと! 

私の内なる子どもは泣いていた。
自分の中に、そんな感情があったなんて、、、

イヤ、気付いていた。
ずっと気付いていたけど、無視してきたんだ。

ここにあると認めて、感じて、手放す。
セドナメゾットの手順でしばらくその感情を感じ続けた。
胸が痛くて痛くて、息まで苦しくなって、
苦しい!苦しい~(>_<)

その時、ある映像が浮かび上がった。
私がまだ5才の時だ。
11才年上の姉が家を出て行った。
美容師になるために、当時はなんと住み込みで修業したのだ。
その後ろ姿を、窓からずっとずっと追いかけていた。
見えなくなるまで、姉も手を振ってくれた。

その春の寒い日の映像がやけに焼き付いている。

その後も家族はどんどん出ていって、
ついには両親も私を置き去りにした(※亡くなった)
生まれた時は6人家族だったのに、今まだその家に
残っているのは私一人だ。

みんな私を置いていく。
お父さんやお母さんまで私を置いていった。
取り残される悲しみ、苦しみ、、、

仕方ない、とあきらめて、この感情を見ないふりをした。
箱に閉じ込めたんだ。

箱を空けて、丁寧にその感情から逃げずに感じ取っていく。
この作業は本当にキツイ。
苦しいから感じないように閉じ込めていたんだから当たり前だ。
沈み込むようにすっかり感じ切ったら、手放す。
根源の光に返す。
根源から帰ってきた真っ白になった光を元の体に納めて、深呼吸・・・

内なる子どもが幸せそうに、楽しそうに笑ってくれるまで、
あとどれだけたくさんの箱があるのだろう・・・

 

 

私の中のわたし

前のブログに「勇気を出すこと」を最後らへんにちょこっと書いたけど、
私は勇気がい--っつも出せなかった。まあ今もへっぴり腰だ。

怖くて勇気が出せなくて、冒険してこなかった。
いわゆる、コンフォートゾーンから抜け出せなかった。

勇気を出して挑戦した結果、失敗したらどうしよう?と
失敗することが怖くて一歩が踏み出せなかったのだ。
色々理由をつけて。言い訳をしながら。

今、勇気を出すことを考えてみると、不思議なことに、
「自分の為に、勇気を出してあげる」と、なぜか一つ上の目線になる。

例えば勇気を出して好きな人に話しかけてみる。
上手く話せなくてガッカリすることもあるけれど、
少しでも話せて嬉しいーー!!と超幸せ気分になることもある。

どうも、この「感情」を眺めている存在がある。
「身体」に動くように指示を出したり、行け!行くな!と命令する機関(脳かな)もある。
変化をものすごく嫌う、やけに慎重な存在(これはいわゆるエゴだね)も・・・。

眺めているのは「意識」つまり魂だと私は思っている。
「感情」は「私」の子どもで、この子どもを喜ばせたいと思っている「私」は?
この「私」は絶対的な愛だ。
私は、私のことなんて誰も愛していないと思っていた。
だけど、この「私」の絶対的な愛に気付くと、もう他者の愛なんて
要らないようにすら感じる。
これがハイヤーセルフというヤツなのかなって思う。

「感情」が動くと、「身体」も反応する。
涙がこぼれたり、胸が痛くなったり、ぼわーっと暖かくなったり、
嬉しくてぴょんぴょん飛び上がってみたり、逆に足取りも重くなったり・・・。

ただひとつだと思っていた「私」の中にたくさんの視点があるんだなあ。
まだ上手く説明できないし、本やネットで得てきた知識ではなく、
ここ最近の体感なので、もっとたくさんあるのかも。わかんないけど。

ただ、矢印を付けたように今、「この人」を楽しませたい
幸せにしたい って思っている。
まだ慣れないからちょっと不思議な感覚。
でも、すごく、愛なんだよね。

 

 

 

自分を楽しませること

何を見たってやっぱり瞑想が大切だよな~~と知ってはいても
なかなか持続できない。
やればいいことは解っていても、眠気に負けたり・・・。

でもまあレイキの自己ヒーリングをしながらの瞑想ならできるので、
寝落ちしない限りは続けている。
センタリングして続けているとどんどん手のひらが熱くなって
日中仕事をしていても手のひらからエネルギーが出ているのがわかる。
それでどういう効果があるとかは特に今のところないんだけど(^_^;)

昨夜そんな風に自己ヒーリングしていたら、とても気持ちよくなっていって
ふっとハイヤーセルフの視点になった(気がした)

「この人をもっともっと楽しませたい!」と思ったのだ。

この人(私)を喜ばせるにはどうしたらいいか?
幸せを感じてもらうにはどうしたらいいか?
と、とてもあたたかな気持ちがなだれ込んできたのだ。

愛する人や我が子が何をしたら喜ぶだろう?
どうしたら笑顔になってくれるだろう?
幸せになって欲しいと願う気持ちを、初めて自分に向けたような…

泣かないで欲しいし、苦しまないで欲しい。
いつもいつも愛していることを知っていて欲しい。

楽しんで欲しい。そして笑って欲しい。
感動して欲しい。たくさん体験して欲しい。
弾けるような笑顔を見せて欲しい。

これがハイヤーセルフの気持ちなんだろうなあと
知るというより全身で感じて涙が出た。

自分を大切にするって、
自分をまるで自分の子供のように愛することなんだろうなあ・・・

 

レイキの自己ヒーリング以外に最近私がしていることは、
Kenji Spirit Kenjiさんが動画で言っていたことで
「毎朝ガッツポーズをすること」

それを鏡の前でやってみた。
思わず笑っちゃって、ついでにバンザイもしてみた。
ついでに、飛び跳ねてみた(笑)
その姿がチョー面白くて、ゲラゲラ笑いながらしばらく続けてみた。
すごく明るい気持ちになるし、面白くて笑えるし(笑) とてもいい!
Kenjiさんありがとう!

ハイヤーセルフの視点になれたのも、これのおかげかもしれない。
飛び跳ねて笑っている鏡の中の自分を見たからじゃないかな。

 

「勇気を出してやってみる」というのは怖いけれど、
その先に喜んでいる自分を想像出来たら、きっと踏み出せる。
自分の為に、勇気を出してあげるのだ。

 

がんばれ、私!

 

 

 

本当は自由だと知ること

人は、自由であることがまずはデフォルトなのかもしれない。

はたから見てどんなに裕福で幸せそうに見えても、
自由を感じられないと苦しくなるんじゃないかな。

自由にも色々ある。
肉体的な自由
精神的な自由
経済的な自由

身体を拘束されている という人はなかなかいないだろうけど
病気で動けない という人はたくさんいるだろうし

虐待されていたり 精神的支配を受けていたり
精神的な自由を奪われている人はこれまたたくさんいるだろう

経済的な自由、これを達成している人はわずかなんじゃないかな
FIRE とかいうけど 日本だとどのくらいいるのだろう?

私は経済的な自由が欲しいー!と毎日思ってるけど(^_^;)

 

自由じゃないと感じ、息苦しくなり、それに耐えられなくなった時、肉体からの解放を望むこともあるのかもしれない。

 

友人で、美しくて、頭もよく、すごい国家資格も持っていて
一生仕事に困ることもなく、子供もものすごい一流大学に行っていて
旦那様も超一流企業、一点の曇りもないエリート一家な人がいる。

なぜ、逃れられないのか、それとも自ら檻に入っているのか、
全く分からないけど、ずっと離婚を考えているのに出来ないという。
10代の時から一緒にいる夫からの強い束縛に苦しんでいる。
一度別れようとして他に男を作ったことがあるんだけど、
なんとその男をボッコボコにされて別れさせられた。※ボクシング経験者
肉体的・精神的な自由を失っている。

でも、経済的な自由さえあればどこにでも逃げられると思うんだけど…

長い間精神的自由を束縛されていると、逃げるという選択肢を
失ってしまう(見えなくなる)のだろうか・・・?

スピ的な観点から見れば、それすら自分で選んでいる
その経験をしたくてしているんだろうけど・・・

はたから見たら超、超幸せそうなのに、
本人は苦しくて苦しくて仕方ないなんて…

自由だと…自分は自由だと知ること。

本当は拘束なんかされていないし、どこへだって行ける。

たくさんのシガラミは実は幻だと気がつくこと。

繋がれていると思っていた鎖は、よく見たらどこにも括られてはいなかった。

自分を縛っていたのは他ならぬ自分自身の思い込みだったのだと…

どうやったら気付けるのだろう。

私も。

 

 

 

 

 

 

怒りの方がまだいい

昨日「女帝」という漫画の主人公が復讐の鬼となって頑張って頑張って生きている姿を見て(読んで)

 

自分を踏み付けにした人達のことなんて忘れて幸せになればいいのに…なんてテッキトーなこと書いたけど、

怒りはモチベーションになるんだよねえ。

エイブラハムの感情の22段階でも、怒りは17で、最低ではない。

絶望や無気力の方が下なのだ。

この場合、主人公がお母さんを亡くして絶望したり無気力になってしまうことよりも、

復讐の鬼となって怒りを原動力にして行動した方がずっといいのだ。

 

忘れるのが難しいくらいの酷い出来事がトラウマになってしまうことだってある。

忘れるには時間が必要だ。

時間が解決してくれることだってある…

 

主人公は頭が良すぎるので何も考えないで忘れて生きるのは無理だろう。

許すことだけが全てではない。

経験や物語のためには必要なことだ。

憎む相手がいることを原動力に頑張れるなら、許さないという選択もアリなんだなあ…

 

なんて、「女帝」を読み進めながらぼんやり考えているヒマで平和な私でした。

 

 

 

ゆるすということ

 

昨年末に久しぶりに「ゆるせない」と思うような出来事があって、
しばらくその人を避けていた。

ゆるさない、と言うことは、自分を縛ることだ。
同じフロアで仕事をしているその人を避けるということは
なかなか至難の業で、どうやったってぎこちなくなってしまうし、
いちいち遠回りしてみたり、なるべく動かないようにしてみたり・・・

とにかく不自由なのだ。

新人の子を紹介しなくてはいけなくなって、
久方ぶりに話しかけた。
そしたら、一気に楽になった。
自分を縛っていたのは、自分だったんだとその時やっと気付いた。

「許せない!」と決めることは、しんどい行動や結果を生む。
スーッと流してしまえばいいのだ。忘れるのだ。
許せなかった出来事を反芻してはダメだ。

忘れちゃえばいいのだ。

それが出来なくて苦しむんだけど・・・


最近、「女帝」という古い漫画を読み始めた(めちゃコミで^^;))
ドラマや映画化もされている有名な漫画たけど、
それらは全く見たことがなかったので、内容は知らなかった。
まあなかなかアダルティーな話なんだけど(^_^;)
とにかく主人公が縛られまくっている。復讐という鬼に。
許せない人達に復讐するために、その美貌と若さを売りに売る。
頭脳明晰がゆえに、のし上がっていくお話なんだけど、、、

忘れてしまえばいいのに。
自分を踏みつけた人たちのことなんか。
忘れて、好きな人と幸せになったらいいのだ。

まあ、それじゃあヒット漫画にはならないけどね(^_^;)
私は、こんなに頑張って頑張って自分を犠牲にすることは
自分で自分を踏み付けていることと同じで、
つまり自分と母親を踏み付けた!と復讐しようとしている相手と
全く同じことをしていると思った。

もっと楽に生きればいいのに、、、

許せない!と決めることは、とても苦しい。
ゆるすということは、自分を赦すということなんだと、
自分で自分を縛っている鎖を外すことなんだと、
「女帝」とは全く次元の違う小さな出来事から
実感した今日この頃でした。

 

 

 

マウントを取る人の深意

やたらマウントを取られがちな私なんだけど(´▽`*)
マウントを取ってくる人をじっと観察してみたら
ああ、私も、時々やってるかもしれない!と思った。
知ったかぶりとかさ。
まあ、私はわからないことはすぐググって確認するから
「知ったかぶり」というか、豆知識の受け売りかな~(;^ω^)

マウントを取る人は、スバリ、自信が無いのだ。
認めて欲しくて、つまり、承認欲求の塊なのだ。
欲求不満の末、マウントを取ってくるのだと気付いた。
だから、「スゴイね!スゴイね!」とか言って満たしてあげればいいんだけど・・・

めんどくせえ(*´Д`)

それで、放っておくと、ドンドンエスカレートしちゃう・・・。
まあ、褒め褒めトークして気に入られてずっとマウント取られるのもメンドクサイし、
やっぱりそっと離れるのがいいと思います。

私は目の前の席の人がコレだけど、仕事上どうしても必要な話以外はもうしません。
いい。嫌われたって別に。
大声で自分は出来る!トークしてるけど、貝のように耳を閉ざそう。
自分がいい気分でいれることを常に選択しないとね~。